真間・蘆屋の昔がたり / 折口信夫
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は行かなくなつた次第なのです。それでこの皇后が紀伊国に大嘗に使ふ、柏の葉をとりに行つた帰りに宮中に新しい女性
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ますが、万葉作家としても残る石上乙麻呂が、土佐国に流されます。又相手の久米若売といふ女性は、下総国に流さ
たといふ風になつてしまつてます。この乙麻呂が土佐国に流されたと言ひましても、すぐさま都に召し還されて役に就いて
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麻績王は因幡へ流され、麻績王の二人の子供は九州の血鹿島と伊豆の島の二つの島へ流されたといふ風に
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訣です。万葉では伊良虞の島といつてゐる。常陸国では板来だといふ。因幡説でも、やはり別のいたこ・いらこ
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流されます。又相手の久米若売といふ女性は、下総国に流されます。「たをやめのまどひ」によりて、流されて
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源氏物語で言ひますと、光源氏が、須磨へ流れて行きました。――流されて行つたのでは、少々問題
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まつてゐます。普天間権現といふ神様は女神で、首里の町の桃原御殿といふ貴族屋敷の娘です。姉さんが結婚した。ところ
芭蕉の糸を捲いたものを持つて家を出た。首里から普天間まで二里もありませうか、その道を逃げて行つたのです
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た印象などになかつた事のやうに、木村先生が、江戸持ち越しの万葉学の権威のやうな形に考へをさめられてゐます。其
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因幡国の一地方で伝へてゐたのか、或は宮廷などの資料がさふ言う
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いふことが、神意によつて現れて、それで皇女が伊予国に流された。これが日本紀の伝へです。古事記の方では、太子
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で名高いのが、真間の手児奈、まう一つは、摂津の蘆屋の海岸にをつた女ですから、蘆屋の菟会(うなひは海岸の義
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紀の伝へです。古事記の方では、太子流されて伊予に行く。後からその皇女が跡を尾うて行かれた。これがいはゆる
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は万葉と源氏との間、もつと平たく申しますと、奈良朝及び其前と、それから平安朝とのその間の聯絡といふこと
さういふ伝へのあつた所が、奈良朝には、奈良朝関係の文献に三ヶ所ある。三ヶ所あるから、其中一つは正しいの
でせう。ともかくさういふ伝へのあつた所が、奈良朝には、奈良朝関係の文献に三ヶ所ある。三ヶ所あるから、其中
言つてゐたものでせう。これは、三種類の奈良文献から起つたことでなしに、歌が元になつてゐるのです。
ございまして、平安朝に入つてもありますし、又奈良朝以前に遡つてもありました。そのうち今日問題にしたいのは
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皇女が二人、見えてゐます。一人は、大伯皇女。大津皇子といふ男性の兄弟が殺されたのでその墓へ行かれました