女房文学から隠者文学へ 後期王朝文学史 / 折口信夫
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以来の草子・物語から来た趣味の応用であつた。鎌倉の昔も、さうであつた。歌は学問であつて、才芸ではなかつ
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らしい心を悦ばし、慰めたに違ひない。恐らくは、秋篠近い「菅原や伏見の里」に住んで居たといふ伏見の翁などを
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。こゝに言ふ武家初期と、中期全体、それに末期即江戸のさしかゝりまでは、かうした隠者が文学の本流になつて居るので
が、現実に謡はれてゐる。院の御製に、江戸の中頃や末に起つた歌浄瑠璃や、端唄・小唄の発想法や、其感触
不思議はないのである。平安末の雑芸には、江戸の初期にも、まだ節の末が残つて居た。貫之や清少納言の
拗曲を含んでゐたが、何にしても、江戸に到るまで、隠者階級の生活態度に、一つの規範を加へた。芭蕉
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た例は、※草子・今昔物語などに見えてゐる。内道場などに出入る僧の、女房とかけ合せた恋歌の形をとつたものゝすべてを
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世の中は何か常なる。飛鳥川 きのふの淵ぞ、今日は瀬になる(読人知らず――古今巻十八
飛鳥川 淵にもあらぬ我が宿も、せに変りゆく物にぞありける(伊勢
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此は必、昔あつた吉野の国ぼめの歌、或は呪詞を考へてゐるのだ。かうした飛鳥末
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其外に、一歩進んで、讃歌体に、奈良以前からも試みて居た所の、短歌の形による讃歎詞があつ
奈良以前は、長く歌の謡はれた期間が含まれてゐる。大歌を
は、宇多の趣味・醍醐の鋭気に保護せられて、奈良以来の旧貴族階級の歌風を圧倒した。
持つて居られた村上天皇であつた。此欽定事業は奈良以後平安初期に続いた漢詩文の復興を期する意味と、一種の文化誇示
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、妹待つと、われ立ち濡れぬ。山の雫に(大津皇子――万葉巻二)
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俊成も「しめぢが原」や、住吉の諸作、其他の神仏詠から暗示を得たものらしい。平明な