獄中への手紙 04 一九三七年(昭和十二年) / 宮本百合子
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をつめて、四時に東京を立ちました。寿江子が横浜まで送りに来て、あとは私一人。この頃国府津は小田原にすっかり交通要点を
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由です。中野も国。戸台さんも保田。俊子さんは軽井沢。雅子さんは体の工合がわるくて八月一杯休みをとりました。何
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もつくり、名所にして金が落ちるようにする由。根津とこの土地とはどういう関係があるのかは不明でした。
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高台、一方は長いコンクリート塀になっていて、ずっと遠く小石川を見晴す風変りな道のスケッチ、をして貰うことにしました。私
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海面がもり上ったように見えるものですね。大変珍しかった。箱根の山の方も、風に吹かれた砂丘の方も見えず。丸い白い
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、細君が随筆をかいた稿料をとって、三人で不二家で食事をして、私は現代ドイツ音楽の夕へまわりました。今日の
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それから今、ウィーンのワインガルトナーというオーケストラのコンダクタァが夫人と来ています。二十八日にききに
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ボロです)につとめて居られる由。娘さんの一人が阪神につとめていたのが小林一三に見出されて今は映画女優の由。
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経験をつんだ、しかし微笑んでいる大人である。油断なき信は、私達の人生と境遇の横暴とに関する経験の上に築かれる。信
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なし。今朝十時富雄さん帰り。三時(午後)克子大阪より。私は明日の出発をのばして御様子を見、且お世話をいたします
や冨美子はこっちの整理つき次第広島にうつるでしょう。克子は大阪の、こっちのお母さんの従弟とかの家にここ三四年行って働いて居り
。その後お母さんのところからは頻りにお手紙下さいます。大阪からかえって来ている克子さんがお嫁の話があるのでこちらにいて
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をしまって、玉子のことや何か云いつけて、珍しく戸塚へゆきました。二階の大掃除をやって古雑誌が出た、面白い
ズボンを買うとか云って新宿へ出てゆきました。戸塚の二人は別々に勉強部屋をもっていることをお話ししましたかしら。妹
でやるのがうれしくて。うれしくて。その代り、今月は戸塚へ二度、壺井さんへ一度、林町へ一寸一度、座談会一、映画(
、どうしても真直家へ引かえす気がせず、戸塚へまわって、防空演習の暗い灯の下で白飯をたべてかえった。昨日
来た玉子の茹でたのをもって池袋へ出かけたら、戸塚の子供二人が母さんをひっぱってピンつくやって来た。
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小さい町気質ですね。言葉にしろ。河村さんの娘が高森の写真屋に嫁づいたのでその写真やに六日に来て貰って、
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変な男にたかられてこまっているのでそのおっぱらいに小豆島。もし繁治さんが行けるようなら、二人で八月一杯滞在の由です。中野
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朝霞はいかにも平凡であるが武蔵野の起伏をもった地形で、薯掘りはおどろくなかれ、そこにある寺が世話
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送りいたします。すっかり古くなってこわれてしまっているから。鎌倉へゆくと頼朝公御六歳のしゃりこうべというのがある。「一つ
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冬が大体暖く、春がもう来たようです。寿江子が鵠沼から来ると大抵私の方にいる。今も居ります。段々私の生活ぶり
寿江子が今度はすっかり留守番をしてくれました。昨夜鵠沼へかえりました。一ヵ月以上ここにいたわけ。それから二日ばかり前
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〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 厳島より(安芸の宮島廻廊より千畳閣を望む絵はがき)〕
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本郷の南江堂へ行って学問的な本をしらべて、腸と太陽燈療法につい
八月十七日、きのうの午後太郎と一緒に本郷の南江堂へ行って、本を買いお送りしました。私は何と
、私は自分の大好きな動坂の家のスケッチと、本郷の或高台、一方は長いコンクリート塀になっていて、ずっと遠く小石川を見
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たべている、それから胡瓜と。二十九日に緑郎がパリへ立ちます。音楽の勉強のために。福沢の孫で法律をやっている
がわかった)をふとよみかえして、ここに描かれているパリの下級勤人の生活や娼婦の生活に対する作者の心持と、荷風や武
ありがたく感じました。緑郎はこの間初めて手紙をよこして、パリのエトワールの近くの或一寸した作家の未亡人の家に暮すようになり
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(五) 信吉の主人格である周防村の大地主山口彦一に、千百円の負債あり。信吉と富雄の名。
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ペンクラブの大会でアルゼンチンへ行った藤村の歓迎会へよばれ、芝公園の三縁亭という珍しいところへゆきました。
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かえりにもとの砲兵工廠の横を通ったら、今あすこは後楽園スタジアム九月開場予定として工事をやって居ります。中村光夫の『
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なかなか悪戦的日常(経済的に)ですがよくやって居り、静岡から妹夫婦が東京へ転任になって来ました。私の引越しは十二
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行かず、あすこは全部売却して、Tさんのいる、広島の方へ行こうと云っていられる由です。二千百円ぐらいの整理をし
録』を一年分申しこんであげました \15、広島の簿記学校へという話も出たが、そこはボキ専門で、それ
いそいでいるが、伯母さんや冨美子はこっちの整理つき次第広島にうつるでしょう。克子は大阪の、こっちのお母さんの従弟とかの家に
富雄さんは広島へ帰るのをいそいでいるが、伯母さんや冨美子はこっちの整理つき次第
て島田の方をお手伝いしている由。富雄さんは広島へ戻って居り、土地の処分は、比較的有利に行きそうな由。
十月九日朝五時四十分。広島でののりかえ。このあたりでは構内のランプもすっかりくらくなっています。
二十一分かの上りで島田を立って十時四十分頃広島。そこで一時間余待って、夜中の〇時二分の特急ふじで
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している。明朝緑郎がフランスへ立ち、咲枝が送りがてら神戸の友達のところへゆく。倉知の俊夫(咲の兄)が召集され
た。雨が降っていて十時半頃で、さては神戸から出奔して来たかと思ったら(夫婦ゲンカをやっていたから
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。人気はよくない。善通寺というところも通りました。松山へは時間がなくてゆけず。いつか又別に参りましょう。道後
されたらまったく降参ですから。ただしっかりものの女なんて※ 松山さんの絵が上達するのをたのしみにして待って居りましょう。
そういう点では角度がまだ鋭くない。性格的にも。松山さんは人物をもっと勉強して私を描きたいのだって。私もいや
をとり、今机の右手の壁にかけてあります。松山さんまだ下手です。それでも好意のもてる絵で、眺めて感じる親しい未熟
』明日お送りします 松山さんの絵の本も。松山さんは満州旅行をしてスケッチをいくつか描き須山計一さんと展覧会をし
九月一日の『ダイヤモンド』明日お送りします 松山さんの絵の本も。松山さんは満州旅行をしてスケッチをいくつか
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一月八日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
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一月八日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
一月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 豊島区目白三ノ三五七〇より(封書)〕
一月十八日(消印) 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕
一月二十八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月三十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月六日朝 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(男の人がスキーをしている写真の
二月八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(男の人がスキーをしている写真の
二月十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(中西利雄筆「優駿出場」の絵はがき)〕
二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
交通費がやすくすむので何より助かります。バスで裁判所や市ヶ谷へゆけるの。
二月十九日夜 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき(1)(2))〕
二月二十八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(五色温泉の山の写真の絵はがき)〕
三月四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(梅の花の写真の絵はがき)〕
三月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕
三月十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(佐伯祐三遺作「レ・ジュ・ド・ノエル
三月二十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕
三月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県熊毛郡島田村より(厳島紅葉公園と広島駅の絵はがき
三月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(浅野泉邸の絵はがき)〕
三月二十七日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
三月二十九日(消印) 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 厳島より(安芸の宮島廻廊より千畳閣を望む絵はがき
三月三十一日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(徳山・幸町通りの写真の絵はがき)〕
四月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月十日夕 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(はがき)〕
四月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(はがき)〕
四月十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月二十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 豊島区目白三ノ三五七〇より(はがき)〕
四月二十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月二十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(クロード・モネの絵はがき)〕
四月二十九日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(外国風景の絵はがき)〕
五月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(ゴッホの絵の絵はがき)〕
五月二十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
書き終って、それを届けて、国男寿江と落合って、市ヶ谷へ行って夜具をとって来ました。ひどくなりましたね。あなたの
14]巣鴨拘置所――一九三七年六月十一日、顕治は市ヶ谷刑務所未決から新築落成した巣鴨拘置所へ移転した。
ことを思い出したのはもう随分久しいことになる。私が市ヶ谷にいた頃からです。
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なかなか決定いたしませんでしたが、この正月三日に、目白のもとの家[自注2](上り屋敷の家です。覚えていらっしゃるでしょう
[自注2]目白のもとの家――一九三一年初夏から三二年一月下旬まで百合子が生活
一月十八日(消印) 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕
一月二十八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
のお手紙と十二月二十六日のお手紙に答える手紙を目白の家から出して居ります。そのうち、どの分が届いているのでしょう
一月三十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月六日朝 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(男の人がスキーをしている写真の絵はがき)〕
二月八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(男の人がスキーをしている写真の絵はがき)〕
二月十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(中西利雄筆「優駿出場」の絵はがき)〕
二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
こともありありと分って一層早くうつったのでした。この目白の家が割合よかったこともあって。ここは、先の家の一
二月十九日夜 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき(1)(2))〕
二月二十八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(五色温泉の山の写真の絵はがき)〕
三月四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(梅の花の写真の絵はがき)〕
三月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕
三月十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(佐伯祐三遺作「レ・ジュ・ド・ノエル」の絵はがき)〕
三月二十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕
四月二十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月二十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(クロード・モネの絵はがき)〕
四月二十九日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
[自注13]お久さん――埋橋久子。信州の人、目白の家で三年間位百合子とともに暮した。
五月六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(外国風景の絵はがき)〕
五月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(ゴッホの絵の絵はがき)〕
五月二十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕
豊島区西巣鴨一ノ三二七七巣鴨拘置所[自注14]の宮本顕治宛 目白より(封書)〕
六月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十三日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕
八月十五日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき二枚)〕
八月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(ダマスカスの細工物「ランプ」の絵はがき)〕
八月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(トルコの細工物「大ざら」の絵はがき)〕
八月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(国立公園富士箱根大涌谷の絵はがき)〕
九月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
、一寸林町へより、南江堂へ来ている本をとり目白へかえりました。家の方はSさんのお母さんが来ていてくれ
九月十七日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(演劇「アンナ・カレーニナ」の舞台写真の絵はがき)〕
九月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鍋井克之筆「二筋の川のある村」の絵はがき)〕
九月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鍋井克之筆「梅雨時の東郷湖」の絵はがき)〕
十月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(国枝金三筆「松林」の絵はがき)〕
十月十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
を捺して貰いました。あしたお会いするために。そして目白へかえって来て、お土産の松茸だのくりだのを皆にわけてい
十月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月一日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(演劇「土」の舞台写真の絵はがき)〕
十一月十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十九日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(山下大五郎筆「中庭の窓」の絵はがき)〕
十一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十五日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(竹内栖凰筆「若き家鴨」の絵はがき)〕
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(竹内栖凰筆「若き家鴨」の絵はがき)〕
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鏑木清方筆「鰯」の絵はがき)〕
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(中野和高筆「ひととき」の絵はがき)〕
十一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(菊池契月筆「麦※」の絵はがき)〕
十二月一日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(新作帯地陳列会より「頴川陶象綴錦」の絵はがき)〕
十二月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(安井曾太郎筆「承徳の喇嘛廟」の絵はがき)〕
十二月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十一日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
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経済的に)ですがよくやって居り、静岡から妹夫婦が東京へ転任になって来ました。私の引越しは十二日頃です。番地
母上のお兄さん)が見えました。この八月頃から東京暮しで高橋というひとのボロの会社(ほんもののボロです)につとめて
東京市豊島区目白三丁目三五七〇
二十四日の午後三時のふじで東京をたち、ひろしま午前五時四十分、島田九時前でした。ひろしまから
の奥さんなのですが、仕事をエイヤッとするにはやはり東京がよろしい。そして、もしお父さんの工合がよかったら夏、虹ヶ浜でお暮しに
たら五日頃かえることになりましょう。私は令名サクサクな東京の奥さんなのですが、仕事をエイヤッとするにはやはり東京がよろしい。
の原因は、危険なことであったが、岩本氏(東京の)が結婚してはじめて見え、お酒が出て、お父さん、こっそりそれ
が保証人であったのが、山崎氏もああいう事情で東京へ出てしまわれたので、却って簡単に運ぶようになり、お父さんの
に急にタオルを三本一箱づめにしたものを東京へ注文したところ(十七軒分)。私は「ここのもの」に
の服と同じ色の服、キショウだけちがう。女学生は大抵東京と同じセイラアです。野原にゆくとき虹ヶ浜にまわりました。春陽駘蕩たりと
仰云った。でも私をお呼びになるときは「東京の、ちょっと来て」です。「お父さん、面倒だからお后のかわりに
。(タオルもってお辞儀して後は)そして、私は東京のお后さんよ。いつか達ちゃんがお父さんに私をさして「あれ
いろいろの目録でよいという風に考えていた。今日東京堂へ行って揃えてお送りします。
さっき手紙を書いてから東京堂へ出かけて、かねて御注文の図書総目録というのを調べました。
の茶色のスーツケースに本や着換えをつめて、四時に東京を立ちました。寿江子が横浜まで送りに来て、あとは私一人。
きのうは、実に実に珍しい大雷雨でしたが東京はどうでしたろう。ああ降る! 降る! と白雨煙るのを眺め、
今朝十六日づけのお手紙が来ました。東京からお久さんの付箋がついて。
の参考に必要になっていた『日本文学全史』(東京堂)久松潜一の『日本文学評論史』(上下)等を買いました
で国府津からかえりました。出征する若い兵士とのりあわせ、東京まで来て、一寸林町へより、南江堂へ来ている本をとり目白
には、出征した従弟のことや何かで四日東京へ戻って前後七日と五日いたわけですが、それでも今度
分の特急ふじで十五日、きょうの午後三時二十五分東京着。寿江子と栄さんが迎に来てくれていて、その足で
上にごちゃごちゃした狭くるしい人のかたまりを見ると、いかにも東京から来て買った畑をせせくっているようで、可笑しいが、ごそごその中
さん時代の人俊子、千代、私、時雨など。いかにも東京会館向なり。蘇峰、如是閑、しきりに瀧田の思い出のなかに私の名
もって来ないとはけしからぬ。かりにも十日ばかり東京に来て、しかも刺戟を与える人々の顔を期待して来ていながら
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二月八日。きのうの夜小雨の中を神田へ本を買いに行ったらこのエハガキが目についたのでお送りいたし
、小雨。白揚社へ最後の原稿をもって行って、神田で寿江子と支那飯をたべるために歩いていてこれを見つけました。
ん。あの本は南江堂で買ったがその前日丸善(神田)へ行ったら医書のところに『人間は皮膚を変える』というヤセンスキーの
がしないで、あなたにあげる文展のエハガキを買いに、神田の文房堂へまわりました。思うようなのがなかった。日本画が
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だか久しぶりで心持のよい晴天。きのうの晩は座談会で銀座へ出かけたら、かえりはひどい雨で、上落合の神近さんの家の先で
て来ました。徳山中学校の屋根が見えました。徳山銀座で私がころびました。徳山駅は目下改造中で大ゴタゴタです。きょうは
ていて落付きます六畳で19円。夕飯をすましたら銀座の三越へカーテンを買ってやりにゆく。目下小説についてコネ中。
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上野の精養軒のようなガラリとした、もっとオフィシャルな感じの店で、会
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のっかっていろいろ話し、御飯を食べ、それからフラフラ散歩して新宿へ出たら、丁度時間があったので「裸の町」という文芸
くれ、暫く皆と話し、運動ズボンを買うとか云って新宿へ出てゆきました。戸塚の二人は別々に勉強部屋をもっている
私、かえりには泉子さんを待ち合せて初日のお祝に新宿のむぎとろをたべました。御気分はいかが? きょうはむしあつかった。
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六月二十日 〔豊島区西巣鴨一ノ三二七七巣鴨拘置所[自注14]の宮本顕治宛 目白より(封書)〕
六月十一日、顕治は市ヶ谷刑務所未決から新築落成した巣鴨拘置所へ移転した。
[自注14]巣鴨拘置所――一九三七年六月十一日、顕治は市ヶ谷刑務所未決から新築落成し
六月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十三日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕
八月十五日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき二枚)〕
八月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(ダマスカスの細工物「ランプ」の絵はがき)〕
八月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(トルコの細工物「大ざら」の絵はがき)
八月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(国立公園富士箱根大涌谷の絵はがき)〕
八月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 神奈川県国府津前羽村字前川中條内より(封書)〕
八月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 国府津より(封書)〕
八月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 国府津より(封書)〕
八月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 国府津より(絵はがき二枚 小田原海岸(一)と小田原駅
九月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 国府津より(封書)〕
九月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 国府津より(御幸ヶ浜海水浴場の絵はがき)〕
九月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十七日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(演劇「アンナ・カレーニナ」の舞台写真の絵はがき
九月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鍋井克之筆「二筋の川のある村
九月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鍋井克之筆「梅雨時の東郷湖」の絵はがき
十月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(国枝金三筆「松林」の絵はがき)〕
十月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 広島駅より(広島駅の絵はがき)〕
十月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡島田村より(封書)〕
十月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(琴平名所の金比羅高台より讚岐富士を望む
十月十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月一日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(演劇「土」の舞台写真の絵はがき)〕
十一月十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十九日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(山下大五郎筆「中庭の窓」の絵はがき)
十一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十五日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(竹内栖凰筆「若き家鴨」の絵はがき)〕
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(竹内栖凰筆「若き家鴨」の絵はがき)〕
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鏑木清方筆「鰯」の絵はがき)〕
十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(中野和高筆「ひととき」の絵はがき)〕
十一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(菊池契月筆「麦※」の絵はがき)〕
十二月一日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(新作帯地陳列会より「頴川陶象綴錦」
十二月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(安井曾太郎筆「承徳の喇嘛廟」の絵はがき
十二月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十一日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
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Sさんという元からの看護婦が池袋の堀の内にいて殆ど毎日来てくれ、寿江のインシュリンの注射を
や島田から頂いて来た玉子の茹でたのをもって池袋へ出かけたら、戸塚の子供二人が母さんをひっぱってピンつくやって来た
行った先は池袋から東上線というので朝霞。薯掘りです。曇っていたので、