風知草 / 宮本百合子
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帰って来た。同じ東北本線を、重吉は四ヵ月前、北海道弁の二人の看守の間にはさまれ、手錠をかけられ、青い作業服、地下足袋
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て凌いで来た十数年の月日がてりかえされた。中国地方から来ていた一人のひとが、その地方の婦人の事情を報告した
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に、十月下旬の午後の光線がさしていた。武蔵野の雑木林のなかに建てられている研究所は自然の深い静寂にかこまれてい
海がずっと深く浅草附近まで入りこんでいたそれより昔、武蔵野の突端をなして、海へきっ立っていた古い地層である。
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ひろ子にもたせていた。その気持は、ずっと昔、小石川のある道をあるくとき、ひろ子の気分に湧いたものと何処やら似てい
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ていた。つき当りの板テーブルに、重吉よりはおくれて宮城から出獄した仲間の一人がいた。公判廷でみたときよりももっとやせ
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ひろ子の又従弟に当る青年がひとりで坐っていた。樺太の製紙会社につとめている父親や、引上げて来た母親、子供たちの様子を
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重吉の弟の直次は、広島で戦死したのであった。
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「東京よりはよかったさ。――巣鴨のおしまい頃はひどかったなあ……これっぽっちの飯なんだから。二
一人として、ひろ子も捕えられ、珍しい暑い夏を、巣鴨の拘置所で暮した。皮膚の弱いひろ子は、全く通風のない、びっしょり汗
。木暮は、一九四四年頃どこかの刑務所から転任して巣鴨へ来た監獄医であった。病監での日常事で意見が衝突
文筆上の仕事は封鎖されて、生活は苦しかった。巣鴨にいた重吉は、ひろ子が一人で無理な生活の形を保とうと焦慮
して喋るひろ子を見て、愉快になった。だが巣鴨を出ると、よってゆけるような友達の家は遠すぎたりして、
があった。その風知草は、小ぢんまりした鉢植で、巣鴨の拘置所の女区第十房の窓の前におかれていた。
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「東京よりはよかったさ。――巣鴨のおしまい頃はひどかったなあ……これ
れずに行った。十月十四日、十二年ぶりに東京の街をひとりで歩くことになった重吉は、一面の焼原で迷い
にぶちまけたのをたべたべ、重吉は一人で網走から東京まで帰って来た。同じ東北本線を、重吉は四ヵ月前、北海道弁の
も来たことさえある。だが、焼野原となった東京で、かえって来た重吉の心に、めじるしとして感じられたのは
体について相談して来た。一九四二年の夏、東京は六十八年ぶりとかの酷暑であった。前年の十二月九日、
黒く近代都市らしい輪郭を浮き出させている。この高台は、昔東京の海がずっと深く浅草附近まで入りこんでいたそれより昔、武蔵野の突端
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があった町の方角へと歩いた。二階家は上野から来て坂の上にある国民学校の建物が目じるしであった。出迎えに
時間も迷ってやっと玄関に辿りついた。その朝、重吉は上野へついて真直に、昔、自分とひろ子とがはじめて一緒に暮した小さな
の一郭にあった。十月十四日の朝、網走から上野へついた重吉は、十三年前ひろ子とはじめて持った家を目当にさがし
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池袋で、長い列につながって省線の切符を買い、乗りかえた。思いがけず、
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せている。この高台は、昔東京の海がずっと深く浅草附近まで入りこんでいたそれより昔、武蔵野の突端をなして、海へ
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はちがったひろさで感じられた。夜になると、田端の汽車の汽笛が、つい間近にきこえて来た。
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それは、ひろ子が四年間暮した目白の家の二階であった。二階はその一室しかなくて、ひろ子
まだあの家がるうちに、という風に気をせいて目白へ帰るのであった。
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ましてね。お家までとてもゆけないし、こっちなら電車が国分寺まで来るから、思い切って出て来たの、よかったわ、お会い出来
をしようとして、本願寺が、この建物をこしらえた。国分寺の駅からよっぽど奥へ入った畑と丘の間の隔離された一郭
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「大丈夫だ。代々木の駅からすぐだよ、二本目の道を来ると、左側だ」
画面が益々幾重にもなって、きのう見て来た代々木の事務所の入口に、かかげられていた横看板の字が、そこに