叙景詩の発生 / 折口信夫

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地名一覧

九州

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からの事で、東国のある部分を除けば、西は九州の辺土も、あぶない敵国の地ではなくなつた。

飛鳥

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きりなく出かけられた。そして、都からやつと半みちの飛鳥の神丘へ行かれた時も、人麻呂は帝王を頌する支那文学模倣とも言へば言は

滋賀

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漣の滋賀の辛崎、幸くあれど、大宮人の船待ちかねつ(人麻呂――万葉巻一

漣の滋賀の大曲、澱むとも、昔の人に復も遭はめやも(同)

、慰安詞をかけてゐる様な処が見えるのは、滋賀の旧都の精霊の心をなだめると言ふ応用的の動機が窺はれる。よい

江戸

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国民性が出来あがつてゐた、と思はれて居る。江戸の犬儒や、鍛錬主義者の合理化を経た士道・武士道が、そつくり戦国どころ

江戸の浄瑠璃類の初期には、必須条件として、一曲の中に必一場

飛鳥川

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飛鳥川 みなぎらひつゝ行く水の 間もなくも思ほゆるかも(同)

吉野

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出して居ても、結局類型を脱せないものが多い。吉野の離宮の行幸に従うて詠じた歌や、近江の旧都を過ぎた時の

み吉野の象山の際の木梢には、許多も騒ぐ鳥の声かも(赤人

を模してゐた様はよく見える。其上、前の吉野の宮の歌二首の如きは、

奈良

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とも背に矢は負はじ」と御褒めにあづかつた、奈良朝の吾妻の国の生蛮を多く含む東人の全精神を士道その

、向うを指す句で、景色が目に浮くところから、奈良朝に入つても「をちかたの……(地名)」と言ふ風

山城川を 宮のぼり 我が溯れば、あをによし 奈良を過ぎ、をだて 倭邑を過ぎ、我が見が欲し国は、葛城

実は純粋に自分を慰める為のものではなかつた。奈良朝も末になつて、おのれまづ娯しむ歌は出来て来たが、其

普通知識の嚢と見なされた書物は読まれた。併し奈良朝或は其以前から、日本人の文学ずきで、硬い学問を疎にしたら

、其が見える。性と恋愛との方面は、日本の奈良朝盛時の抒情詩に絡んで来るのであるから、今は言はぬ。

詞曲にはそぐはなくなつたことを見せて居る。奈良朝も、後になるほど、長歌の製作力が、世間全体になくなつ

奈良の詞人の才能は、短歌に向うてばかり、益伸びて行つた。

脚に合せる為で、此点から見ても長歌は、奈良初期に既に生命を失ひ、中期には、残骸となつて居た事が

のみが見えるのは、人麻呂が時流を遥かに抜け出て、奈良末期の家持の短歌に現れた心境に接続してゐる処である。其

は官吏としての意識を明らかに持つ様になつた奈良の中期には、もう都鄙・官民の別を示すだけの風習が生じた

奈良中期には大伴旅人・山上憶良らが、支那趣味を移植して、短歌

住吉

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住吉の榎津に立ちて、見わたせば、武庫の泊りゆ 出づる船びと(同