奥の海 / 久生十蘭

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地名一覧

大阪

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が、六月になると西国総体に米が不足し、大阪からの廻米が途絶えてお倉の扶持米の石が切れ、一人、日に

翌八年の春、金十郎は用人部屋から駆りだされて大阪に下り、川口の囲倉から廻米を受領して京都へ差送る、廻米下役

京、大阪の女衒どもは、わずかばかりの金穀で貧乏公卿の息女を買い落し、みちのくの

盛岡藩

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川村は本家から派遣されている密事の一人で、盛岡藩では若年寄付小人、物産方という軽い役柄だが、七戸では藩政

九条

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「恐れることはない。一条の姫も九条の姫も凡下に身をおとして、飛騨の山奥まで輿入れする時世だ。いずれ

江戸

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御儒者衆、堀玄昌の三男で、江戸にいればやすやすと御番入もできる御家人並の身分だが、のどかすぎる気質

なので、荒けた東の風が肌にあわない。江戸を離れて上方へ流れだし、なんということもなく、京都に住みついてしまった

、春の節句に、諸家の奥向きへ、お土産といって江戸小間物を進上するのが式例になっている。

は、ああいう窮屈な世界にいて、半年も前から江戸の土産を待ちこがれている。几帳の陰から嘱目しているのは、わしで

日光例幣使の副使として、往きは中仙道、帰りは江戸をまわって東海道を通るが、両便と泊りのほか、いつも横になって眠っ

ご免を願い、すぐにも陸奥に下るつもりで、そうそうに江戸へ帰った。

父の顔も見るや見ずで、江戸を発ったのが六月の十日。千住の橋詰に関所ができ、江戸

が六月の十日。千住の橋詰に関所ができ、江戸へ流れこもうとする難民の大群を、十人ばかりの番士が、

「江戸に米はない。帰れ、帰れ」

江戸の外は、えらいことになっているといううわさだったが、これほどと

といううわさだったが、これほどとは思わなかった。江戸の北の口でさえ、こんな騒ぎをしているのでは、陸奥のようす

江戸の千住から、津軽の三厩まで、百八十里、百十四次の長い道中だが、

たのを思いだし、廻船の上乗りにでもしてもらって江戸へ帰ろうと、郭内のお長屋をたずねると、川村孫助はみすぼらしい金十郎の風態を

日に物書が通ってくるが、天保七年の米留から江戸への廻漕がとまり、七戸丸という、五百石積の藩船が、沼尻から

お番入をすすめたわけではなかったが……。江戸にいれば御儒者衆の家柄で、寛濶な日々を送れたものを、こんな

蝦夷

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にすぎないから、逃げ足の早いやつなら三日もあれば蝦夷の奥までも行けるだろう、という意味のことを言っているのだが、

京都

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京都所司代、御式方頭取、阪田出雲の下役に堀金十郎という渡り祐筆が

江戸を離れて上方へ流れだし、なんということもなく、京都に住みついてしまった。

天保元年に、京都に地震があり、ほうぼうの築地や下屋が倒壊したが、その修理も

足らないのは不作のせいで、廻米に依存している京都では、禁裡の入用さえ痩せ細っている次第だから、貧乏に愛想をつかし

を刺した。天保四年の夏嵐のつづきだが、京都の近郊では、樹々の倒れるもの数知れず、諸所の堤が切れて

て大阪に下り、川口の囲倉から廻米を受領して京都へ差送る、廻米下役をつとめていたが、そのころ湊入りした

金十郎は血相を変えて京都に馳せのぼると、上乗りに聞いた女衒宿を、八条猪熊でたずねあて、江戸

福島

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福島から笹木野に分れる石高道に、肋骨ばかりに痩せさらばえたのが、幾十人と

なり、青い瓢箪のような足の裏を見せている。福島あたりまで行けば米にありつけると、はるばるここまでやってきたのだ

盛岡

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七戸領は盛岡二十万石の内証分で、殿様は七年前から御定府、家老と大

川村は本家から派遣されている密事の一人で、盛岡藩では若年寄付小人、物産方という軽い役柄だが、七戸で

盛岡領の宮古、釜石、大槌の浦浜で銛をうたれ、死んだり手負いに

を申付けられることになろう……。もっとも、口書をとって盛岡へ送り、御用部屋へおさまるまでには、早くとも三日はかかる」

品川

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上乗りに聞いた女衒宿を、八条猪熊でたずねあて、江戸品川の元宿へ、品物を送り届けて帰ってきたばかりという、ずるそう

つくす勢いで、草加の近くまで切れ目もなくつづき、新宿、品川のお救小屋をあてにし、道端に足を投げだして待っている。

千住

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ずで、江戸を発ったのが六月の十日。千住の橋詰に関所ができ、江戸へ流れこもうとする難民の大群を、十人ばかり

江戸の千住から、津軽の三厩まで、百八十里、百十四次の長い道中だが、街道

千住を出離れたが、いよいよ数は増すばかり、難民の群れは奥州街道を埋めつくす

新宿

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を埋めつくす勢いで、草加の近くまで切れ目もなくつづき、新宿、品川のお救小屋をあてにし、道端に足を投げだして待って

草加

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は増すばかり、難民の群れは奥州街道を埋めつくす勢いで、草加の近くまで切れ目もなくつづき、新宿、品川のお救小屋をあてにし