ユモレスク / 久生十蘭
地名一覧
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生粋の深川ッ子で、その年まで旅といえば東は塩原、西は小田原の道了さまより遠くへ行ったことがなく、深川を離れ
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駆落ちをしたというたいへんな評判で、新聞社の巴里と倫敦の支局は、本社からの命令で辛辣に邦子の足どりを追及した。男
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杜松子さんと巴里でおなじキャンプにいたんだが、横浜で焼けた幹さんの疎開先がわからないというから、そのあいだしばらくうちで
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「ちょいと、あれエッフェル塔でしょう……明治四十年の巴里の万国博覧会といって、よくあの写真を見せられ
「ねえ、滋さん、あの上へのぼれるのかしら。エッフェル塔のてっぺんで初日の出を拝んだといったら話の種になるわね」
のよ。あんなしみったれた飲ませかたをするから。でもエッフェル塔はよかったわね。エレヴェーターを降りてから階段をあがるのは弱ったけど、
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夏はドオヴィル、冬はニースと一年中めまぐるしく遊びまわっているふうだから、ひょっとしたらいま巴里にいない
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、玉木屋の桐の駒下駄をはいて籠信玄をさげ、筑波山へ躑躅でも見に行くような格好でコンパルチマンから降りてきて、
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川崎をすぎると前窓にあたる風の音がだんだん強くなって来た。沖に
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「君も知っているだろう。S銀行のボストンの支店長をしていた幹さん」
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六十一になるやすが、息子の伊作に逢いに一人でトコトコ巴里までやってきた十年前のことを思い出した。
暮せないやすが、どんな思いをしながらマルセーユまでたどりついたろう、巴里までの一人旅はさぞ心細く情けなかったろうと、考えただけでも胸がつまる
一年中めまぐるしく遊びまわっているふうだから、ひょっとしたらいま巴里にいないのかもしれず、いるにしてもあのなまけものがいそいそと
ブリュクセルまで自動車を飛ばして、午後の急行をつかまえ、夜遅く巴里へ着くと、案のじょう伊作はどこかで遊び呆けているのだとみえ、やす
「こんなところで降されてしまったけど、ここが巴里なの」
「そうよ、ここが巴里よ」
「へえ、これが巴里」
「うむ、巴里もいいところがあるね。宝船を売りにきた。そら、おたから、
「冗談じゃないわ。巴里で「なみのりふね」なんか売りにくるもんですか。あれは古服や襤褸
「巴里ってずいぶんしみったれたところなんだねえ。若旦那、なにがよくて七年も
気がついて、困ったことをしたと思って、巴里へ着くまで心配のしどおしだったけど、あなたが出ていてくれ
「ちょいと、あれエッフェル塔でしょう……明治四十年の巴里の万国博覧会といって、よくあの写真を見せられたもんだった。おやおや
帰りばかりを待って暮してきたようなもんだわ。巴里じゃ、窓のそばの天鵞絨椅子に坐って、足音にばかり耳をたてた
「あたしはいつも待たされ通しよ。日本で待ち、巴里へ行っちゃ待ち、この二十年、若旦那の帰りばかりを待って暮してき
竺仙の黒紋付かなんか着てチンと坐ってるでしょう。巴里にはお元日なんかないったって、そうかとすぐ話のわかるひとじゃなし、
「あのひとのお嬢さんの杜松子さんと巴里でおなじキャンプにいたんだが、横浜で焼けた幹さんの疎開先
「あなたは巴里のキャンプで伊作といっしょでしたって」
巴へ駆落ちをしたというたいへんな評判で、新聞社の巴里と倫敦の支局は、本社からの命令で辛辣に邦子の足どりを追及し
ていたのさ……放っておけないから、あのとき巴里まで出かけて行ったが、幹さんの奥さんは、無理に別れさせられるくらい
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は小田原の道了さまより遠くへ行ったことがなく、深川を離れたら一日も暮せないやすが、どんな思いをしながらマルセーユまでたどりつい
たままを生海苔で食べるという三代前からの生粋の深川ッ子で、その年まで旅といえば東は塩原、西は小田原の道
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「滋さん、あなた好きだったわね。銀座の田丸屋よ。荷物が着くとどっさり入っているわ」