顎十郎捕物帳 19 両国の大鯨 / 久生十蘭
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と橋ばかりのようなところだから、縮めて行ってとうとう芝浦まで追いつめたンです。……月のいい夜だから、あの原っぱへ追いこんだら
「芝浦です」
「芝浦です」
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は江戸にいてちゃんとそれがわかっていた。金が庄内を出たと聞くと、屋敷の南どなりの金魚屋を居ぬきで買っちまい
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「佐久間町でございます」
「もういけません。この調子では佐久間町まで行くうちに夜が明けてしまう。いい後は悪いというのは本当です
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「おい、松兄哥、垢離場の高物小屋へ仙台の金華山から鯨が泳ぎついたそうだ」
この六月、金華山へあがった流鯨にポンと投げだした五百両。
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「こんどの外船さわぎで、会津や川越の諸藩と交代に江戸湾警備を申しつけられ、その諸費用に大至急で国もとから取りよせ
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が鶴岡を出たのが先月の二十二日。伏鐘は江戸にいてちゃんとそれがわかっていた。金が庄内を出たと聞くと
周囲が太いところは大人の五ツかかえ。これが江戸のまンなかで絵にあるように潮を噴き、鯨ちゃんや、と言う
江戸へ鯨が来たのはこれが最初。
絵では見ましたが、正眼に生きて泳ぐところを江戸のまンなかで見られようとは思っていませんでしたよ。年寄は
つづき絵にて御覧のかたはありましょうが、生きた鯨が江戸に持ちこされたはこれが最初。当地は日本四十五州の要所。将軍さまの
ました当小屋の六兵衛どの、哀れと思い買いとりて母子もろとも江戸へ連れかえり、かくはご高覧に供しまする次第。まずは右のため口上。東西
ご覧に入れますところなれど、しょせん田舎生れの鯨ゆえ、江戸の繁華に胆をつぶし、ただもうぐったりしているばかり。それはまた改めてお
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の流鯨のとそんな有りふれた鯨ではござりませぬ。奥州は仙台金華山港町というところに住む漁師の茂松という方、去る月の
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で上ってしまったんです。足どりを辿ると、そこから八丁堀まで歩いて行って、八丁堀の船清という船宿から猪牙に乗って浜松町一
。足どりを辿ると、そこから八丁堀まで歩いて行って、八丁堀の船清という船宿から猪牙に乗って浜松町一丁目まで行き、佐土原屋と
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両国の大鯨
両国の見世物へ黒鯨が来た。
「両国へ黒鯨がきたそうでございますな。もうお出かけになりましたか」
「先生、両国で鯨が泳いでいるそうでごわす。見聞をひろめるは武士の嗜みのうちでごわ
れも行けかれも行けと、江戸八百八町がこぞってどっと両国へ押しだす。まるで本門寺のお会式のような有様。
「あなた、両国の黒鯨をごらんになりましたか」
にか納まりをつけたが、二日目は小屋のある垢離場から両国の広場にかけて身動きも出来ぬような混雑。
「なんだって、両国の鯨が盗まれたって、馬鹿にしちゃいけねえ。手前、面を洗ったのか。番所
かったはず。北へ行けば、両国橋か千歳橋。南へ行けば両国二丁目の辻番か中ノ橋の辻番所。この四つの関所で四方から袋のようにかこ
けて江戸じゅうに手を配った大捕物。なかんずく、この両国界隈は辻々、露地の入口まで隙間もなく人をくばって蟻の這いでるセキもな
両国二丁目の角屋敷。
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待で、芝高輪、品川、築地の海手、深川洲崎、湯島天神の境内などにはほとんど江戸じゅうの老若が日暮まえから押しだして月の出
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「おい、松兄哥、垢離場の高物小屋へ仙台の金華山から鯨が泳ぎついたそうだ」
鯨のとそんな有りふれた鯨ではござりませぬ。奥州は仙台金華山港町というところに住む漁師の茂松という方、去る月の十二
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、いつもどえらい物をかつぎこんで来る。安政二年には長崎から大錦蛇を、三年の夏には駱駝と麒麟を持って来た
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は二十六夜待で、芝高輪、品川、築地の海手、深川洲崎、湯島天神の境内などにはほとんど江戸じゅうの老若が日暮まえから押しだし
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七月二十六日は二十六夜待で、芝高輪、品川、築地の海手、深川洲崎、湯島天神の境内などにはほとんど江戸じゅうの
なかんずく、品川はたいへんな賑い。名のある茶屋、料理屋の座敷はこの夜のために
間もなく大店のご隠居のようなのが、大急ぎで品川の『観海楼』まで。観海楼へ送りこむと、また赤羽橋まで取って返す
五ツごろから、こんどは品川宿の入り口に網を張ってもどりの客の総浚い。麻布へひとり、すぐ
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「神田まで帰ります」
「神田のどこだ」
ひょろりの松五郎。阿古十郎のおしこみでメキメキと腕をあげ、神田のひょろ松といえば、今では押しも押されもしないいい顔
帳面繰りをしているとき、阿古十郎が追いまわしていた神田の御用聞、ひょろりの松五郎。阿古十郎のおしこみでメキメキと腕をあげ、
「神田左衛門橋の酒井さまのお金蔵から四日ほど前、出羽の庄内鶴岡から
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芝園橋で一度、御成門で一度、田村町で一度、日比谷の角で一度。ちょいと待ちな、どこへ行く。
馬場先門をさけて日比谷から数寄屋橋。鍛冶橋の袂まで来ると、川に照りかえす月あかりで闇の
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芝園橋で一度、御成門で一度、田村町で一度、日比谷の角で一度。ちょいと待ちな、どこへ
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行って、八丁堀の船清という船宿から猪牙に乗って浜松町一丁目まで行き、佐土原屋という木綿問屋へ入ったということがわかっ
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高物師の深草六兵衛。浅草の奥山で生れて奥山育ち、まだ歳は若いが才走った胆の太い男
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五百両なげだした大事なネタ。夜のあけるのを待って浅草橋の詰番所へ、恐れながらと訴え出た。
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られた酒肴をいただいていい機嫌になっているあいだに、神田川からくぐって来てゆるんだ土台を突きくずし、七十六箇の千両箱をひとつ残さ
居ぬきで買っちまい、金蔵のましたを通して池を神田川まで掘りぬき、まるひと月のあいだ、池のほうから金蔵の土台へせっせと水
なアに、泳いで行ったやつは綱を千両箱に結えつけるだけ。神田川へ船を浮べているほうの組が、こいつをせっせと手ぐり寄せる。わけも
なら、房州の石船にきまったようなもンです。石船なら神田川から上にのぼる気づかいはない、くだるほか法がない。なにしろ石船は底が
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蟻の這いでるセキもなかったはず。北へ行けば、両国橋か千歳橋。南へ行けば両国二丁目の辻番か中ノ橋の辻番所