新西遊記 / 久生十蘭

新西遊記のword cloud

地名一覧

満洲

地名をクリックすると地図が表示されます

仏教の密部を西蔵の原宗教に結びつけ、西蔵を中心に満洲、蒙古、シベリヤから裏海沿岸にいたる一千万の信徒をもつ西蔵仏教の基を

ベルリン

地名をクリックすると地図が表示されます

つづけ、翌々、廿八年の二月に独逸へ入り、ベルリンで Karawanen-Reise in Sibilien(「西比利亜征槎旅行」)という本を

ヒマラヤ山脈

地名をクリックすると地図が表示されます

空を摩して聳えるヒマラヤ山脈の等高地帯、喜水の渓谷に、西蔵の主都であり西康、青海、蒙古、

富士山

地名をクリックすると地図が表示されます

も渓谷地方で海抜九千尺、平均高度一万四、五千尺、富士山の頂上より二千尺も高いところに日本の全面積を載せ、そこに西蔵を

、エヴェレストにつぐ世界第五の高山、ドーラギリを二万七千尺、富士山の二倍の高さのところで突破して西蔵の西南部へ入り、東

丘が島のように二つ浮いている。一つは富士山に似た美しい丘で、一つは頂上から中腹まで金の天蓋をのせた

ダージリン

地名をクリックすると地図が表示されます

と印度の間にある小独立国)の国境に近い印度のダージリンから五日ぐらいで行かれるが、つい二十世紀のはじめまでは、国境のまわり

印度からラッサへ入るには、ダージリンからヤートゥンを経由する公道のほかに、桃渓へ迂回する傍道と、カンチェンジュンガの西

西蔵語学者がラッサから大量に史料を持ちだし、印度のダージリンで西英対訳辞典の編纂をしているそうだという知識ぐらいのもので、

地図の上では、ダージリンからブータンを通って、東北へ十五、六日歩けばいいのだが、この

六月一日にカルカッタに着くと、智海はすぐ汽車でダージリンへ行った。ダージリンはブータンの国境に近い一万四千尺の高地にある避暑地で、

カルカッタに着くと、智海はすぐ汽車でダージリンへ行った。ダージリンはブータンの国境に近い一万四千尺の高地にある避暑地で、すぐむこうにカンチェンジュンガが

かねての計画だったので、チャンドラのすすめにしたがって、ダージリンから一里ほど上ったグンパールという僧院に入ることにした。

朝は教学、午後はダージリンへ下りて托鉢をし、夜は読経に費した。僧院の同学は智海

アンナプルナ

地名をクリックすると地図が表示されます

山脈が氷の障壁をひきめぐらしているのに、エヴェレスト、アンナプルナ、ドーラギリなど、世界で一、二の高山が五峯も集まっている削峻たる地形

神戸

地名をクリックすると地図が表示されます

餞別を懐ろに、明治卅年の六月廿五日、神戸を発って印度のカルカッタに向った。

、千二百里というたいへんな迂回路を一人で歩き通し、神戸を発ってから六年目にラッサへ入った。

自分を信用していず、ジタバタもしていない。神戸を出発する前日、友人に、「ぼくは身体も弱いし、臆病でも

唐突な山容を見せ、雲をつくばかりにぬきだしている。神戸を出発したのが卅年の六月廿六日、その日は卅

福島

地名をクリックすると地図が表示されます

を目ざめさせた。岡本監輔の千島義会の結成から福島中佐のシベリヤ騎馬横断、郡司大尉の千島探検、野中至夫妻の富士山頂の

年の十二月、イルクーツクでロシア人の茶の隊商に加わり、福島中佐と逆コースをとってシベリヤ徒歩横断の旅行にのぼった。

。郡司大尉の千島探検隊の出発から遅れること十カ月、福島中佐が単騎旅行を終えようとする明治廿六年の十二月、イルクーツクでロシア人

東京

地名をクリックすると地図が表示されます

満訳大蔵と蒙古大蔵を買上げ、校合の資料として東京帝大へ下附されたようなことまであったが、仏教は印度教(