平賀源内捕物帳 長崎ものがたり / 久生十蘭

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地名一覧

千石

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過所船、七村の上荷船、茶船、柏原船、千石、剣先、麩粕船。

大阪

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庵でまた三日ばかり、引止められるのを振切ってこれから大阪へ下ろうという都合。

大阪には、先年長逗留の間、先生の創見にかかわる太白砂糖の製法を伝授

する時、生涯衣食のご心配はかけませんからどうぞ大阪にお止まりを、と言って皆々袖を引止めた程だったから、今度また

て皆々袖を引止めた程だったから、今度また先生が大阪へ下ったと知ったら、誰も彼もと押寄せて下にも置かぬ款待

お鳥の姉婿、つまりお鳥の義兄が商用で長崎から大阪へ上り、いま川口の宿にいる。お鳥が陳東海に殺されたこと

大阪、川口の賑い。

「初めて見る大阪の繁昌。上方の人は悠長だと聞きましたが、それは真赤な嘘

同じ頃、江戸でお鳥さんを殺している。江戸から大阪迄は百五十里の道程。江戸で人を殺している人間が同じ日の同じ頃に

江戸で人を殺している人間が同じ日の同じ頃に大阪で人を殺せるわけのものではない。どうもあなたの見違いだッたと

、福介と二人で何から何迄仕切ってやってのけ、大阪で初七日を済まし、奉行所の手続きもすっかり了えてから、詳しく事情を認め

江戸と大阪で同じ日の同じ刻に同じ唐人がそれぞれ二人の人間を殺したというの

同じ七月の十五日、江戸と大阪と長崎で三人の男女が同じ人間に同じ方法で殺害された。

、秘し隠して置くわけにはいきません。利七さんは、大阪でこんなことになッてしまいました。月も日も刻も同じ七月の

でございましょうが、同じ七月の十五日に、江戸、大阪、長崎とこの三つの場所でそれぞれ三人の人が殺され、その三

のご思惟にありますように、人間として江戸と大阪と長崎で同日同刻にそれぞれ三人の人間を殺すなどということが出来得

ますと、仮に江戸の殺人を認めたとすれば、大阪と長崎の殺人は陳東海の所為ではないということになる。また仮

仮に、長崎の殺人は認めたとすると、江戸と大阪の殺人に対しては陳東海は無罪であります。この三つの事件を

箱根

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自分から進んで浪人したくらいの芯からの江戸人。箱根を越えたことがないのが自慢なくらいなのだから、仮宅にもせよ

古川町

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が巧なので長崎奉行から唐通詞を依頼され、古川町の闕所屋敷を貰ってそこに住んでいた。

わたしを殺した者は、長崎、古川町に住む、唐通詞陳東海と申す者にて候、七月十五日手前家内お

「最初に見つけましたのは古川町の火の番なのでござりますげな。通詞は江戸へ上ってい、留守居

行着いたところが古川町の闕所屋敷、唐通詞陳東海の宅だった。

神田和泉町

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て来ると言って、新堀町で女中を返し、自分ひとりで神田和泉町の陳東海の仮宅へ訪ねて行ったところ、どういういきさつがあったのか、

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丁度六ツ半頃、庭に盥を出させて萩の間で行水を使っていると、とつぜん隣の家で、きゃッという

江戸

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もその一人で、今から五年前、出羽の秋田から江戸へ出て来て、倚るつもりの忰や娘に先立たれ、知らぬ他国で

江戸を七月二十日に発ち、先年江戸へ上るとき世話になった駿河本町二丁目、

江戸を七月二十日に発ち、先年江戸へ上るとき世話になった駿河本町二丁目、旅籠屋菱屋与右衛門方へ先度の礼かたがた三

先生が江戸へ発とうとする時、生涯衣食のご心配はかけませんからどうぞ大阪に

た帰途、長崎で世話になった唐人さんが、今、江戸へ上って来ているから、一寸、挨拶をして来ると言って、新堀町

「いや、わしは江戸から来たのだが、一寸利七さんに所用があってお寄りしたよう

「案の定だッた。江戸でお鳥の殺されたのが七月の十五日。……津国屋の

聞いたら、お種さんは涙の壺を涸らすこッたろう。江戸ではお鳥さんが陳東海に殺されるし、その同じ日に、お前が

見違いではなかッたのかね。陳東海は確かに江戸にいるのみならず、同じ日の同じ頃、江戸でお鳥さんを殺して

確かに江戸にいるのみならず、同じ日の同じ頃、江戸でお鳥さんを殺している。江戸から大阪迄は百五十里の道程。江戸

日の同じ頃、江戸でお鳥さんを殺している。江戸から大阪迄は百五十里の道程。江戸で人を殺している人間が同じ日

を殺している。江戸から大阪迄は百五十里の道程。江戸で人を殺している人間が同じ日の同じ頃に大阪で人を殺せるわけ

、奉行所の手続きもすっかり了えてから、詳しく事情を認めて江戸の伝兵衛のところへ早飛脚を立てた。

江戸と大阪で同じ日の同じ刻に同じ唐人がそれぞれ二人の人間を殺したと

どう考えても有りようもないことだが、江戸ではお鳥がはッきりと陳東海だったと言い、利七の方も、

思うに、江戸からお鳥の変死の報知が届き、それで一家中が悲嘆の涙に沈ん

たア思われまッせん。同じ日の同じ刻に江戸と長崎で姉娘と妹娘が唐人めらの手にかかって殺められるなンて、

「まあ、ちょッとお待ちください。いま伺っていますと江戸と長崎で同じ日の同じころに姉娘と妹娘が、と仰言いましたが、

同じ七月の十五日、江戸と大阪と長崎で三人の男女が同じ人間に同じ方法で殺害された

のは古川町の火の番なのでござりますげな。通詞は江戸へ上ってい、留守居もおらぬ筈の闕所屋敷からチラチラと灯が見え

なしゃい、と申しました。細かしく訊ねますと、陳が江戸へ上る日、お種に申すには、あんたから貰うた手紙がわたしの居間

「案の定、やッぱり利七も。……江戸と長崎で二人が殺められた以上、どッち道、利七も助かる筈は

甲必丹もヘトル役も外科医も、皆、江戸で懇意にしておったので源内先生も招かれてその祝宴に連る

のことでございましょうが、同じ七月の十五日に、江戸、大阪、長崎とこの三つの場所でそれぞれ三人の人が殺され、

。諸兄のご思惟にありますように、人間として江戸と大阪と長崎で同日同刻にそれぞれ三人の人間を殺すなどということが

出たものでありましょう。砕いて申しますと、仮に江戸の殺人を認めたとすれば、大阪と長崎の殺人は陳東海の所為で

。また仮に、長崎の殺人は認めたとすると、江戸と大阪の殺人に対しては陳東海は無罪であります。この三つの

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川の岸には山と積上げられた灘の酒、堺の酢、岸和田の新綿、米、糖、藍玉、灘目素麺、阿波蝋燭

長崎

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長崎ものがたり

という下女を連れて永代へ川施餓鬼に行った帰途、長崎で世話になった唐人さんが、今、江戸へ上って来ているから

宝暦二年、二十一歳で長崎に勉強をしに行った時、長々寄泊して親よりましな親身な

へやって来たが、たいへんに日本語が巧なので長崎奉行から唐通詞を依頼され、古川町の闕所屋敷を貰ってそこに住ん

県へ帰り、二年置いた明和五年の春、また長崎へやって来たが、たいへんに日本語が巧なので長崎奉行から唐

、宝暦十一年から明和二年迄の四年の間、長崎の唐人屋敷に住んでいた。その年の春、急に故郷の浙江

初めごろから唐船の財副になって交易のため幾度となく長崎に来、宝暦十一年から明和二年迄の四年の間、長崎の

奥床しかったから、己惚面をした美男の評判のある長崎の小小姓などは足元にも寄れぬくらいだった。

お鳥の姉婿、つまりお鳥の義兄が商用で長崎から大阪へ上り、いま川口の宿にいる。お鳥が陳東海に殺さ

道行の皺を引伸ばしながら土間へ入り、長崎の唐木屋利七が泊っている筈というと、女中は怪訝な顔し

あるのでござります。……あなたさまも、あの、やッぱり長崎の方から、……」

「ごらんの通り、長崎やお江戸から赤紙付やら早文やらあの通り仰山に届いておりますんだ

わたしを殺した者は、長崎、古川町に住む、唐通詞陳東海と申す者にて候、七月十五日

長崎本籠町 唐木屋利七

してください。ねえ、利七さん、あなたの骨はあたしが長崎迄抱いて行ってあげますから」

まま利七の骨箱を抱いて九月四日に津港から長崎行の便船に乗込んだ。

捻っていたッてどうにもならないことなので、長崎迄の船の中でとッくり考えようと肚を決め、未解決のまま利七

の海上を十一日で乗切り、九月十七日の朝、長崎に到着した。

船は神崎の端をかわして長崎の港へ入る。

長崎の山々は深緑を畳み、その間に唐風の堂寺台閣がチラホラと隠見する

「さあ、利七さん、長崎へ帰りました。ここはあなたの生れ故郷。さぞ懐かしいこったろう。いや、

思われまッせん。同じ日の同じ刻に江戸と長崎で姉娘と妹娘が唐人めらの手にかかって殺められるなンて、そぎゃ

まあ、ちょッとお待ちください。いま伺っていますと江戸と長崎で同じ日の同じころに姉娘と妹娘が、と仰言いましたが、する

同じ七月の十五日、江戸と大阪と長崎で三人の男女が同じ人間に同じ方法で殺害された。

「案の定、やッぱり利七も。……江戸と長崎で二人が殺められた以上、どッち道、利七も助かる筈はない

長崎奉行宛に一通、与力同心衆一同として一通、甲必丹

の所為ではないということになる。また仮に、長崎の殺人は認めたとすると、江戸と大阪の殺人に対しては陳東

、仮に江戸の殺人を認めたとすれば、大阪と長崎の殺人は陳東海の所為ではないということになる。また仮に

思惟にありますように、人間として江戸と大阪と長崎で同日同刻にそれぞれ三人の人間を殺すなどということが出来得べき

ましょうが、同じ七月の十五日に、江戸、大阪、長崎とこの三つの場所でそれぞれ三人の人が殺され、その三人

申すまでもなく大阪庭窪、蘇州庵の場合も、この長崎の場合と同じ仕掛がしてあったと申上げるのは蛇足に過ぎる憾みが

下谷

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娘に先立たれ、知らぬ他国で如何しようもなくなって、下谷の御門前で行倒れになりかけているのを気の毒に思って連れ帰って下僕

秋田

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。福介もその一人で、今から五年前、出羽の秋田から江戸へ出て来て、倚るつもりの忰や娘に先立たれ、知ら

京都

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へ先度の礼かたがた三日程泊り、八月二十四日に京都へ着いて山科の三井八郎右衛門の四季庵でまた三日ばかり、引止められる

大津

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存じます。尤もな、お発ちになる時、ひょっとしたら大津の方へ廻るやも知れんと、そう仰言ってでござりましたゆえ、

神田

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時を移さず、与力小泉忠蔵以下、控同心神田権太夫。それからお馴染のお手付御用聞、土州屋伝兵衛、引連れ