我等の一団と彼 / 石川啄木
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を去る氣が無く、去るにしても、房州か、鎌倉、茅ヶ崎邊へ行つて一年も保養したいやうな事ばかり言つてゐた
見送りに來なかつたのは、前の日から或事件の爲に鎌倉へ出張してゐる劍持だけであつた。
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事。然も妙な癖のある美人な事。彼が嘗て牛込の奧に室借をしてゐた頃、其の細君と隣室にゐた學生
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つたんだ。劍持は田舍版の編輯から頼まれて水戸へ行つたしな――我が黨の士が居らんと寂寥たるもんよ
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を見たといふ者は一人もない。郊外の、しかも池袋の停車場から十町もあるといふ處に住んでゐて、人を誘
となつた時は、もう夜が大分更けて、例の池袋の田舍にゐる高橋には、乘つて行くべき、汽車も、電車
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繼母だつたらう)を養ふ爲で、それが死んだから早速東京へ歸つたのだといふ話も聞いたやうに記憶してゐる。細君
一年ばかり東北の方に行つてゐたらしい。それから東京へ歸つて來て、或政治雜誌の記者になり、實業家の手代
でもない。先あ東京の家を見給へ。今日の東京は殆どあらゆる建築の樣式を取込んでゐる、つまり彼れなんだ。何時と
考へが熟してゐない。また時機でもない。先あ東京の家を見給へ。今日の東京は殆どあらゆる建築の樣式を取込んでゐる
へ歸るといふ意見だつたが、病人は何うしても東京を去る氣が無く、去るにしても、房州か、鎌倉、茅ヶ崎邊
色々貴い知識を得たが、田舍で暮らした老人を東京みたないな處へ連れて來るのは、一寸考へると幸福なやうにも
のは、一つは矢張りそれだよ。さうして復東京へ戻つて來ると、屹度、「故郷は遠くから想ふべき處で、歸る
私はそれとなく、此の四、五日の間に、東京中の家といふ家で、申し合せたやうに、夏の着物を疊んで
『三、四年振りでしたねえ。矢つ張りずつと彼時から東京でしたか?』私は言つた。
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傾け盡されてゐた。暇さへあれば彼は、市ヶ谷の奧の松永の家へ毎日のやうに行つてゐる風だつた。
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なく我々は、もう再び逢はれまじき友人と其の母とを新橋の停車場に送つた。其の日高橋はさつぱり口を利かなかつた。そして
があつた。さうして置いて、私は其の夜、新橋で別れて以來初めての手紙を、病友松永の爲に書いた。
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』或日劍持がさう言つた。二人の乘つた電車が京橋の上で停電に會つて、いくら待つても動かぬところから、切符