悲しき思出 (野口雨情君の北海道時代) / 石川啄木

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北海道

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(野口雨情君の北海道時代)

◎本年四月十四日、北海道小樽で逢つたのが、野口君と予との最後の会合となつた。

札幌

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なつた。其時野口君は、明日小樽を引払つて札幌に行き、月の末頃には必ず帰京の途に就くとの事で、大分

◎其野口君が札幌で客死したと、九月十九日の読売新聞で読んだ時、予の

して飄然北海の客となつた。同じ頃野口君が札幌の北鳴新聞に行かれた事を、函館で或雑誌を読んで知つたが

事になつて、九月十三日に焼跡を見捨てて翌日札幌に着いた。

◎札幌には新聞が三つ。第一は北海タイムス、第二は北門新報、第

◎予と札幌との関係は僅か二週間で終を告げた。二十七日に予先づ小樽

小樽

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の最後の会合となつた。其時野口君は、明日小樽を引払つて札幌に行き、月の末頃には必ず帰京の途に就く

◎本年四月十四日、北海道小樽で逢つたのが、野口君と予との最後の会合となつた。

て非常に憤慨してゐた。「事によつたら断然小樽行を罷めるかも知れぬ。」と言ふ。予は腹の中で「

。其後一度同君の宅を訪問した時は、小樽の新聞の主筆になるといふ某氏の事に就いて、或不平があつて

の濁音を鼻にかけて言ふ訛が耳についた。小樽行の話が確定して、鮪の刺身をつつき乍ら俗謡の話などが

が予の入社した五日目に来て、「今度小樽に新らしい新聞が出来る。其方へ行く気は無いか。」と言ふ。

随分名の知れてゐる山県勇三郎氏が社主、其令弟で小樽にゐる、これも敏腕の聞え高き中村定三郎氏が社主を代表して

に入り、三十日に野口君も来て、十月一日は小樽日報の第一回編輯会議。此新聞は、企業家としては随分名の

は僅か二週間で終を告げた。二十七日に予先づ小樽に入り、三十日に野口君も来て、十月一日は小樽日報の第

の招待で或洋食店に行く途中、時は夕方、名高い小樽の悪路を肩を並べて歩き乍ら、野口君と予とは主筆排斥の

あるのだが、何分事が余り新らしく、関係者が皆東京小樽札幌の間に現存してゐるので、遺憾ながら詳しく書く事が出来ない

◎小樽は、さらでだに人口増加率の莫迦に高い所へ持つて来て、函館

東京

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であるのだが、何分事が余り新らしく、関係者が皆東京小樽札幌の間に現存してゐるので、遺憾ながら詳しく書く事が出来