天鵞絨 / 石川啄木
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の前から昨晩腕車で來た方へ少し行くと、本郷の通りへ出ますから、それは/\賑かなもんですよ。其處の角
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には餘り高いのに怖氣立つて、到頭上らず。吾妻橋に出ては、東京では川まで大きいと思つた。兩國の川開きの話
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通り、新橋のステイション、勸工場にも幾度か入つた。二重橋は天子樣の御門と聞いて叩頭をした。日比谷の公園では、
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村といつても狹いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺れて逶※と北に走つた、坦々たる其一
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村といつても狹いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺れて逶※と北に走つた、坦々たる
、九歳か十歳の時、大地主の白井樣が盛岡から理髮師を一人お呼びなさるといふ噂が恰も今度源助さんが四年
に行つて來ると言つて出て行つて、源助さんと盛岡から一緒に乘つて行く。汽車賃は三圓五十錢許りなさうだが
置く。そして、源助さんの立つ前日に、一晩泊で盛岡に行つて來ると言つて出て行つて、源助さんと盛岡から一緒に
に密り衣服などを取纒めて、幸ひ此村から盛岡の停車場に行つて驛夫をしてる千太郎といふ人があるから、馬車
の顏を打瞶つてゐたが、『でヤ、明日盛岡さ行がねばならねえな。』とお定が先づ我に歸つた。
『明日盛岡さ行ぐすか?』
『其※に澤山でも無えす。俺等も明日盛岡さ行ぐども、手さ持つてげば邪魔だです。』
あつた。其處へ源助が來て、明後日の夕方までに盛岡の、停車場前の、松本といふ宿屋に着くから、其處へ訪ねて一緒
『明日盛岡さ行つても可えが?』
『明日俺ア、盛岡さ行つて來るす。』
『何處へ』と問ふ水汲共には『盛岡へ』と答へた。二人は荷馬車に布いた茣蓙の上に、後
盛岡へ五里を古い新しい松並木、何本あるか數へた人はない。二人が
に此村を辭した。好摩のステーションから四十分、盛岡に着くと、約の如く松本といふ宿屋に投じた。
の年に飄然と家出して、東京から仙臺盛岡、其盛岡に居た時、恰も白井家の親類な酒造家の隣家の理髮店に
が二歳の年に飄然と家出して、東京から仙臺盛岡、其盛岡に居た時、恰も白井家の親類な酒造家の隣家の
の頼りにして、嘗て自分等の村の役場に、盛岡から來てゐた事のある助役樣の内儀さんより親切な人だと
盛岡の肴町位だとお定の思つた菊坂町は、此處へ來て見ると
勸工場は、小さいながらも盛岡にもある。お八重は本郷館に入つて見ないかと言出した
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、なつかしい此村を訪問したと云ふ事、今では東京に理髮店を開いてゐて、熟練な職人を四人も使つてる
でない事は村の人達も知つてゐる。然し東京の理髮師と云へば、怎やら少し意味が別なので、銀座通
、今日隣家の松太郎といふ若者が、源助さんと一緒に東京に行きたいと言つた事を思出して、男ならばだけれども、と
俯いて微笑んだのみであつた。怎して私などが東京へ行かれよう、と胸の中で呟やいたのである。そして、今日隣家
な顏を打瞶つたのだ。それから源助さんは、東京は男にや職業が一寸見附り惡いけれど、女なら幾何でも口が
た。そして、二時間許りも麥煎餅を噛りながら、東京の繁華な話を聞かせて行つた。銀座通りの賑ひ、淺草の水族館
お定さん。お前も聞いたべす、源助さんから昨晩、東京の話を。』
て、お八重の顏を打瞶つたが、何故か「東京」の語一つだけで、胸が遽かに動悸がして來る樣な
稍あつて、お八重は、源助さんと一緒に東京に行かぬかと言ひ出した。お定にとつては、無論思設けぬ
恁※田舍に許り居た所で詰らぬから、一度東京も見ようぢやないか。「若い時ア二度無い」といふ流行唄の
でないから、默つて行くと言ふ事で、請賣の東京の話を長々とした後、怎せ生れたからには恁※田
朝飯前の事ぢやないかとお八重が言つた。日本一の東京を見て、食はして貰つた上に月四圓。此村
東京に行けば、言ふまでもなく女中奉公をする考へなので、それが
樣でなく、後から追驅けて來たで、當分東京さ置ぐからつて手紙寄越す筈にしたものす。』
と源助さんはまたしても笑つて、『一度東京へ行きや、もう恁※所にや一生歸つて來る氣になりません
お八重の顏であつた。怎してお八重一人だけ東京にやられよう!
すぐ涙が流れる。と、其涙の乾かぬうちに、東京へ行つたら源助さんに書いて貰つて、手紙だけは怠らず寄越す事
は、此母、此家を捨てゝ、何として東京などへ行かれようと、すぐ涙が流れる。と、其涙の乾かぬうち
た。あの先生さへ優しくして呉れたら、何も私は東京などへ行きもしないのに、と考へても見たが、又、
瞶めながら、呆然と昨晩のの事を思出してゐた。東京といふ所は、ずつと/\遠い所になつて了つて、自分が
お定は唯もう氣がそは/\して、別に東京の事を思ふでもなく、明日の別れを悲むでもない、唯何
いふ所より遠いか近いかそれも知らぬ。唯明日は東京にゆくのだと許り考へてゐる。
此村から東京へ百四十五里、其※事は知らぬ。東京は仙臺といふ所より遠いか近いかそれも知らぬ。唯明日は東京
べき人をを彼是と數へてゐた。此村から東京へ百四十五里、其※事は知らぬ。東京は仙臺といふ所より遠い
、もう涙が滲んでゐず、胸の中では、東京に着いてから手紙を寄越すべき人をを彼是と數へてゐた。
お定は胸の中で、此丑之助にだけは東京行の話をしても可からうと思つて見たが、それではお
を餘り快く思はぬのだが、常々添寢した男から東京行の錢別を貰つたと思ふと、何となく嬉しい。お八重に
も知れぬ。源助さんは滿腹の得意を以て、東京見物に來たら必ず自分の家に寄れといふ言葉を人毎に殘して
日の間到る所に驩待された。そして七日の間東京の繁華な話を繰返した。村の人達は異樣な印象を享けて
源助は、唯一本の銚子に一時間も費りながら、東京へ行つてからの事――言語を可成早く改めねばならぬとか
見た事のない夢を見てゐる樣な心地で、東京もなければ村もない、自分といふものも何處へ行つたやら、在る
『東京は流石に暑い。腕車の上で汗が出たから喃。』と
事世話になつた家の娘さん達でな。今度是非東京へ出て一二年奉公して見たいといふので、一緒に出て
とお吉と新太郎を連れて、些少の家屋敷を賣拂ひ、東京に出たのであつた。其母親は去年の暮に死んで了つ
が、新太郎が二歳の年に飄然と家出して、東京から仙臺盛岡、其盛岡に居た時、恰も白井家の親類な酒造家
て幽かに笑つた。それから二三分の間は、東京ぢや怎して水を汲むだらうと云ふ樣な事を考へてゐた
行かねばならぬと考へたが、否、此處は東京だつたと思つて幽かに笑つた。それから二三分の間は、
許りの時に、お定が先づ目を覺ました。嗚呼東京に來たのだつけと思ふと、昨晩の足の麻痺が思出される。
南部の田舍の家に育つた者の目には、東京の家は地震でも搖れたら危い位、柱でも鴨居でも細く見える
『何でも一通り東京の事知つてなくちや、御奉公に上つても困るから、私と一緒
『流石は東京だでヤなつす!』と言つた。
此處へ來て見ると宛然田舍の樣だ。ああ東京の街! 右から左から、刻一刻に滿干する人の潮!
怖氣立つて、到頭上らず。吾妻橋に出ては、東京では川まで大きいと思つた。兩國の川開きの話をお吉に聞かされ
と歩かずに本郷館の横へ曲つた時には、東京の道路は訝しいものだと考へた。
歸りたいとも思はなかつた。それかと言つて、東京が好なのでもない。此處に居ようとも思はねば、居
源助は、二人がまだ何も東京の事を知らぬからと言ふ樣な事を言つてゐたが、お吉
なつたと思ふと、温なしい娘心はもう涙ぐまれる。東京の女中! 郷里で考へた時は何ともいへぬ華やかな樂しい
七圓に定次郎から五圓、先づ體の可い官費旅行の東京見物を企てたのであつた。
源助の話を聞いて以來、死ぬまでに是非共一度は東京見物に行きたいものと、家には働手が多勢ゐて自分は閑人
で、忠太は先ず、二人が東京へ逃げたと知れた時に、村では兩親初め甚※に驚かされ
、今度は仕方がないから歸るけれど、必ず又自分だけは東京に來ると語つた。そしてお八重は、其奧樣のお好みで結
その後二三日は、新太郎の案内で、忠太の東京見物に費された。お八重お定の二人も、もう仲々來られぬだら
出して、秋の夜の暗を北に一路、刻一刻東京を遠ざかつて行く。
貫通車の三等室、東京以北の總有國々の訛を語る人々を、ぎつしりと詰めた中
遠くから包まれて、ハッと明るい。お定が一生の間、東京といふ言葉を聞く毎に、一人胸の中に思出す景色は、恐らく此
胸に數へてゐた。お定の胸に刻みつけられた東京は、源助の家と、本郷館の前の人波と、八百屋の店と
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髮師と云へば、怎やら少し意味が別なので、銀座通の寫眞でも見た事のある人は、早速源助さんの家の
りながら、東京の繁華な話を聞かせて行つた。銀座通りの賑ひ、淺草の水族館、日比谷の公園、西郷の銅像、電車、自動車
長い尾を曳く川蒸汽は、仲々異なものであつた。銀座の通り、新橋のステイション、勸工場にも幾度か入つた。二重橋
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聞かせて行つた。銀座通りの賑ひ、淺草の水族館、日比谷の公園、西郷の銅像、電車、自動車、宮樣のお葬式、話は
橋は天子樣の御門と聞いて叩頭をした。日比谷の公園では、立派な若い男と女が手をとり合つて歩いてる
所へ行つて來た樣な心地である。淺草とか日比谷とかいふ語だけは、すぐ近間にある樣だけれど、それを口に
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に故障があつた爲、三人を乘せた汽車が上野に着いた時は、其日の夜の七時過であつた。長い
と川と田と畑としか無かつたので。さて上野の森、話に聞いた銅像よりも、木立の中の大佛の方が
を出て十二日目の夕、忠太に伴れられて、上野のステイションから歸郷の途に就いた。
新太郎と共に、三人を上野まで送つて呉れたお吉は、さぞ今頃、此間中は詰らぬ物入
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川蒸汽は、仲々異なものであつた。銀座の通り、新橋のステイション、勸工場にも幾度か入つた。二重橋は天子樣の