鳥影 / 石川啄木
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寧ろ弟の樣に思つてるので)この春は一緒に畿内の方へ旅もした。今度はまた信吾の勸めで一夏を友の
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ませんけれども、何だかあの、生れ村を離れて北海道あたりまで行つて、此先何うなることかと思ふと……。』
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思出す毎に智惠子は東京が戀しくてならぬ。住居は本郷の弓町であつた。四室か五室の廣からぬ家ではあつた
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路は少し低くなつて、繁つた楊柳の間から、新らしい吉野の麥藁帽が見える。橋はその時まで、少し搖れてゐた。
』と、靜子は少し顏を染めた。心では、吉野が來た爲に急いで歸つたと思はれるのが厭だつたので。
、又しても靜子に一つの張合を増した。吉野の、何處か無愛相な、それでゐてソツのない態度は、先づ家中
喜んだ。それで取敢へず離室の八疊間を吉野の室に充てゝ、自分は母屋の奧座敷に机を移した。吉野と
生憎と、吉野の來た翌日から、雨が續いた。それで、客も來ず、
にもいかず、二日目三日目となつては吉野も大分退屈をしたが、お蔭で小川の家庭の樣子などが解つた
。昌作も鮎釣にも出られず、日に幾度となく吉野の室を見舞つて色々な話を聞いたが、畫の事と限らず
に跨つた自然の若々しさは、旅慣れた身ながらも、吉野の眼には新しかつた。その色彩の單純なだけに、心は何
はムッとした顏をして、返事はせずに、吉野の顏色を覗つた。
『盛岡でお逢ひになつたんですつてね、吉野に?』
朝から昌作の案内で町に出た吉野の歸つた時は、先に歸つた信吾が素知らぬ顏をして、客の
吉野はブラリ/\と庭を拔けて、圃路に出た。追駈ける樣な
夜涼が頬を舐めて、吉野は何がなしに一人居る嬉しさを感じた。恁うした田舍の夜路
吉野は、今日町に行つて加藤で御馳走になつた事までも、既う五六
を騷がせてゐる智惠子の歴然と白い横顏を、吉野は不思議な花でも見る樣に眺めてゐた。
刻々中流へ出る、間隔は三間許りもあらう。水は吉野の足に絡る。川原に上つた子供らは聲を限りに泣き騷い
の泣き騷ぐも構はず、はら/\してる間に、吉野は危き足を踏みしめて十二三間も夜川の瀬を追驅けた
『何有、大丈夫!』と、吉野は水から上つた。丁度橋の下である。
を濟まして再び庭に出て來た時は、もう吉野の姿が見えなかつた。植込の蔭、築山の上、池の畔、
又離室に來た。一枚殘した雨戸から、丁度吉野が上るところ。
稍詳しく家中の耳に傳へられた。老人達は心から吉野の義氣に感じた樣に、それに就いて語つた。信吾と靜子は、顏
にか不愉快を感じたらうが、何がなしに蟲の好く吉野だつたので、その豪いことを誇張して繼母などに説き聞せた。
つて頻りに水泳に行く事を慫慂めた。昌作の吉野に對する尊敬が此時からまた加つた。
二人の話はもう以前の樣に逸まなくなつた。吉野が來てからの智惠子は、何處となく變つた點が見える。さればと言つ
も宿つてゐる。これと際立つところはないが靜子が吉野の事といへば何より大事にしてゐる、それが唯癪に障る。
が信吾の頭を掠めた。『それより奈何です、その吉野の方へ行つてみませんか?』
智惠子の來なかつたのは、來なければ可いと願つた吉野を初め、信吾、靜子、さては或る計畫を抱いてゐた富江の各々に
若しや此話から、自分と死んだ浩一との事が吉野に知れはしまいかと思ふと、その吉野にも顏を見せたくなかつ
の事が吉野に知れはしまいかと思ふと、その吉野にも顏を見せたくなかつた。
兄に手頼つて破談にしようとした。が、一度吉野を知つてからの靜子は、今迄の理由の外に、も一つ、何
が、吉野の胸にあつたのは其事ではなかつた。渠は、信吾が屹度
に入ると、常ならぬ華やかな光景が、土地慣れぬ吉野の目に珍しく映つた。家々の軒には、怪し氣な畫や「豐
。』と言つて、智惠子は意味ありげに、目で吉野を仰いで、そして俯向いた。
振向くと、何時醫院から出て來たか吉野が立つてゐる。
が、この歡樂の境地に――否、靜子と共に吉野を一人置いて行くことが、矢張り快くなかつた。居たとて別に話
の方へ歸つてゆく。月を浴びた其後姿を、吉野は少し群から離れた所に蹲んで、遠く見送つてゐた。
! と彼は悔いた。何故もつと早く、――吉野の來ないうちに言はなかつたらう※
てやらうか! 否、それよりは何うかして吉野を追拂はう!
。そして又、段々家へ近附くにつれて、戀仇の吉野に對する自暴腹な怒りが強く發した。其怒りが又彼を嘲る。信吾
、もう心配で/\堪らなくなつて、今も密と吉野の室に行つて、その歸りの遲きを何の爲かと話してゐ
信吾去り、志郎去り、智惠子去り、吉野去つて二月の間に起つた種々の事件が、一先づ結末を告げた
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なり、穗の揃つた麥畑の中を睦し氣に川崎に向つた。丁度鶴飼橋の袂に來た時、其處で落合ふ別の
ぬ調子で男を迎へる。信吾はニヤニヤ心で笑ひ乍ら川崎の家へ歸る。
の家、その周圍に四五軒農家のある――それが川崎の小川家なのだ。
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が二つ、一つは町裏の寶徳寺、一つは下田の喜雲寺、何れも朝から村中の善男善女を其門に集めた
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になつて、二階建の校舍が其奧に、愛宕山の鬱蒼した木立を背負つた樣にして立つてゐる。
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へ差掛つた時、朱盆の樣な夏の日が岩手山の巓に落ちて、夕映の空が底もなく黄橙色に霞んだ。と、
た。噪いだ富江の笑聲が屋外までも洩れた。岩手山は薄紫に※けて、其肩近く靜なる夏の日が傾いてゐた
男神の如き岩手山と、名も姿も優しき姫神山に挾まれて、空には塵一筋
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!』と眼を大きく※つた。母のお柳は昔盛岡で名を賣つた藝妓であつたのを、父信之が學生時代に
人通りの少い青森街道を、盛岡から北へ五里、北上川に架けた船綱橋といふを渡つて六七
除いては、農繁の休暇にも暑中の休暇にも、盛岡に歸らうとしない。それを怪んで訊ねると、
富江には夫がある。これも盛岡で學校教師をしてゐるが、人の噂では二度目の夫だ
服裝を飾るでもなく、本を讀むでもない。盛岡には一文も送らぬさうで、近所の内儀さんに融通してやる
死んだ。母と智惠子は住み慣れた都を去つて、盛岡に歸つた。――唯一人の兄が縣廳に奉職してゐた
…智惠子の身にも悲しき追憶はある。生れたのは盛岡だと言ふが、まだ物心附かぬうちから東京に育つた……
、校外取締をすることになつた。富江は今年も矢張盛岡の夫の家へは歸らないで。智惠子にも歸るべき家が無かつ
、もう師範出のうちでも古手の方で、今年は盛岡に開かれた體操と地理歴史教授法の夏期講習會に出席しなければ
友に逢つて來ると言つて、其日の午後、一人盛岡に行くことになつた。
時幾分と聞いた發車時刻にもう間がない。急いで盛岡行の赤切符を買つて改札口へ出ると、
『盛岡までゝ御座います。』
學校は明日から休暇なさうですね。何ですか、お家は盛岡で?』
明後日大澤の温泉に開かれますので、それであの、盛岡のお友達をお誘ひする約束が御座いまして。』
『矢張りその盛岡までゝす。』
『貴女は盛岡の中學に※畫の教師をしてる男を御存じありませんか?
信吾とが相對してゐる。吉野は三十分許り前に盛岡から歸つて來た所で、上衣を脱ぎ、白綾の夏襯衣の、その
『若旦那樣、お孃樣、板垣樣の叔母樣が盛岡からお出アンした。』
か被仰る、畫をお描きになる……貴女にも盛岡でお目にかゝつたとか被仰つてで御座いますよ。』
又、自分とあの人が端なくも汽車に乘合せて盛岡に行く時、田圃に出て手巾を振つた。靜子の底の底の
『盛岡でお逢ひになつたんですつてね、吉野に?』
其翌日か翌々日、叔母と其子等は盛岡に歸つて行つた。この叔母は、數ある小川家の親戚の中で
『盛岡に歸るさうだ。四五日中に。』
である。月の初めに子供らを伴れて來た、盛岡の叔母が、見知らぬ一人の老人を伴れて來た。叔母は墓參
ところへ、肺炎が兆した。そして加藤の勸めで、盛岡の病院に入ることになつた。
だ五尺足らずの山内は、到頭八月の末に盛岡に歸つて了つた。聞けば智惠子吉野と同じ病院に入つたといふ
代用教員に赴任することになつた。――その葉書は盛岡の病院なる智惠子と山内に宛てたもの。山内には手短く見舞の文句と
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が、靜子の父信之の計ひで、二月許りも青森へ行つて、浩一と同棲した。
人通りの少い青森街道を、盛岡から北へ五里、北上川に架けた船綱橋といふ
去年の春首尾克く卒業したのである。兄は今青森の大林區署に勤めてゐる。
淺猿しいものだ!』と心で言つて見た。青森にゐる兄の事が思出されたので。――嫂の言葉に返事
家が無かつた。無い譯ではない。兄夫婦は青森にゐるけれど、智惠子にはそれが自分の家の樣な氣がしない
列車が着くと、これは青森上野間の直行なので車内は大分込んでゐる。二人の外には
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たといふ馬顏の沼田、それに巡囘に來た松山といふ巡査まで上り込んで、大分話が賑つてゐた。其處へ山内
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せう? その吉野さんて方、この春兄樣と京都の方へ旅行なすつた方でせう?』
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今年の春の巴里のサロンの畫譜を披いて、吉野は何か昌作に説明して聞かし
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進んだ。何と思つてか知らぬが、この暑中休暇を東京で暮すと言つて來たのを、故家では、村で唯一人
日も餘つてる時に、信吾は急に言出して東京に發つた。それは靜子の學校仲間であつた平澤清子が、醫師の
も患つた時、看護に歸つて來た儘靜子は再び東京に出なかつた。そして、此六月になつてから、突然政治から
まだ二十日も休暇が殘つてるのに無理無體に東京に歸つた樣な譯で御座いましてね。今年はまた私が這※
入るまで、小學の課程は皆東京で受けた。智惠子が東京を懷しがるのは、必ずしも地方に育つた若い女の虚榮と
十五の春御茶の水女學校に入るまで、小學の課程は皆東京で受けた。智惠子が東京を懷しがるのは、必ずしも地方に育つ
たのは盛岡だと言ふが、まだ物心附かぬうちから東京に育つた……父が長いこと農商務省に技手をして
であつた。その優しかつた母を思出す毎に智惠子は東京が戀しくてならぬ。住居は本郷の弓町であつた。四室か
だ頃が思出された。亡母の事が思出された。東京にゐる頃が思出された。
に歸つた信吾が素知らぬ顏をして、客の誰彼と東京談をしてゐた。無理強ひの盃四つ五つ、それが悉皆
の中、頭を壓する幾層の大厦に挾まれた東京の大路を、苛々した心地で人なだれに交つて歩いた事
『えゝ、東京ぢや迚も見られませんねえ。』
『あ、貴女は以前東京に被居たんですつてねえ?』
『僕は東京へ歸りませう!』と言ふ目は眤と暗い處を見てゐる。
つて來てくれぬ男を怨めしくも思つた。あの人が東京へ歸ると、屹度今夜のことを手紙に書いて寄越すだらうと思つた
は、信吾が遲く起きて、そして、今日の中に東京に歸らして呉れと父に談判してゐた。父は叱る、信吾
信吾の不意に發つて以來、富江は長い手紙を三四度東京に送つた。が、葉書一本の返事すらない。そして富江は不相
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言ひ淀んで、『昨日發つ時にね、松原君が上野まで見送りに來て呉れたんだ……。』
列車が着くと、これは青森上野間の直行なので車内は大分込んでゐる。二人の外には乘る
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省に技手をしてゐたので……十五の春御茶の水女學校に入るまで、小學の課程は皆東京で受けた。智惠子が東京