葬列 / 石川啄木

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地名一覧

愛宕山

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牛の背に似た岩山、杉の木立の色鮮かな愛宕山を控へ、河鹿鳴くなる中津川の淺瀬に跨り、水音緩き北上の流に

中津川

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た事、女學生の靴を穿く樣になつた事、中津川に臨んで洋食店の出來た事、荒れ果てた不來方城が、幾百年

杉の木立の色鮮かな愛宕山を控へ、河鹿鳴くなる中津川の淺瀬に跨り、水音緩き北上の流に臨み、貞任の昔忍ばるる

田中

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。のみならず、一寸路を逸れて、かの有名な田中の石地藏の背を星明りに撫づるをさへ、決して躊躇せなんだ。

盛岡

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な考を起した。これは、人の前で、殊に盛岡人の前では、些憚つて然るべき筋の考であるのだが

の城よ※ 汝は今これ、漸くに覺醒し來れる盛岡三萬の市民を下※しつつ、……文明の儀表なり。昨の

は大層立派な二階立の洋館になつて居るし、盛岡の銀座通と誰かの冷評した肴町呉服町には、一度神田の小川

眠れる都會』などと時々土地の新聞に罵られた盛岡も、五年以前とは餘程その趣きを變へて居る。先づ驚かれ

この中津河畔の美しい市を舞臺に取つて居る。盛岡は實に自分の第二の故郷なんだ。『美しい追憶の都』

の時には、今は亡くなつた上の姉さへ此盛岡に縁付いたのであつた。自分は此等縁邊のものを代る/

と呼ばるる自分は、今から二十幾年前に、此盛岡と十數哩を隔てた或る寒村に生れた。其處の村校の尋常科

實地踏査を要する事があつて、五年振に此盛岡には歸つて來たのである。新山堂と呼ばるる稻荷神社の直

屋根々々が、茂れる樹々の葉蔭に立ち並んで見える此盛岡は、實に誰が見ても美しい日本の都會の一つには

切なさを忍ぶことが出來よう。雨の夜と秋との盛岡が、何故殊更に自分の氣に入るかは、自分の知つた限りで

よりも完全に對する希望を尊しとする自分が、夜の盛岡の靜けさ淋しさは愛するけれども、奈何して此三が一緒になつ

この美しい盛岡の、最も自分の氣に入つて見える時は、一日の中では

市民三萬の活動の響が、礑と許り止んだ。『盛岡』が今今日の晝飯を喰ふところである。

、呑氣な、尾を引張る處が乃ち、全く雨の盛岡式である。此聲が蕭やかな雨の音に漂うて、何十度か

が不幸にも全五年の間忘れ切つて居た『盛岡の聲』ではないか。此低い、呑氣な、尾を引張る處

はてしない、蕭やかな嬉しさの籠つた追憶談は、雨の盛岡の蕭やかな空氣、蕭やかな物音と、全く相和して居た。午時

此伯母さんの一擧一動が悉く雨の盛岡に調和して居る。

、一切皆克く雨に適して居る。人あり、來つて盛岡の街々を彷徨ふこと半日ならば、必ず何街か理髮床の前に

如く感ぜられて、仲々奧床しいのである。總じて盛岡は、其人間、其言語、一切皆克く雨に適して居る。人あり

爲る事がない。これは、自分には一層雨の盛岡の趣味を發揮して居る如く感ぜられて、仲々奧床しいのである。

に足る演劇的の事實が含まれて居る。若し一度も盛岡の土を踏んだことのない人で、此會話の深い/\意味

つて居る。或る一事とは、乃ち昔自分が夜の盛岡を彷徨いて居た際に起つた大奇談である。――或夜自分

色の天蓋を被いで、寂然と靜まりかへつた夜の盛岡の街を、唯一人犬の如く彷徨く樂みは、其昔、自分の夜

極めて怪訝に堪へぬといつた樣な顏をして、盛岡辯で、

。そこで今自分は、一年中最も樂しい秋の盛岡――大穹窿が無邊際に澄み切つて、空中には一微塵の影

に入るといふ事を叙べ、そして、雨と夜との盛岡の趣味に就いても多少の記述を試みた。そこで今自分は、

感想とを叙べ、又此市と自分との關係から、盛岡は美しい日本の都會の一つである事、此美しい都會が、

ない。何故なれば、此一記事といふのは、美しい盛岡の秋三ヶ月の中、最も美しい九月下旬の一日、乃ち今日ひと日

否、或は、此の記事を撰む方が却つて一層秋の盛岡なるものを適切に表はす所以であるのかも知れない。何故なれ

が、自分は、其秋の盛岡に關する精細な記述に代ふるに、今、或る他の一記事を以

ある。巨人? 然だ、慥かに巨人だ。啻に盛岡六千戸の建築中の巨人である許りでなく、また我が記憶の世界に

な二階立の白堊館、我が懷かしき母校である。盛岡中學校である。巨人? 然だ、慥かに巨人だ。啻に盛岡

常にある事、否、之あるがために却つて盛岡の盛岡たる所以を發揮して見せる必要な條件であるのだ。されば自分は、

には常にある事、否、之あるがために却つて盛岡の盛岡たる所以を發揮して見せる必要な條件であるのだ。されば自分

無い事、否、有るべからざる事であるが、然し此盛岡には常にある事、否、之あるがために却つて盛岡の盛岡たる

感じなかつた。何故なれば、自分は決して此土地の盛岡であるといふことを忘れなかつたからである。市の中央の大逵で

である。或は自分は、滯留三日にして早く既に盛岡人の呑氣な氣性の感化を蒙つたのかも知れない。

、がんこア來た、がんこア來た。』がんことは盛岡地方で『葬列』といふ事である。此聲の如何に高かつたかは

一番戸に轉宅した。(註、狐森一番戸は乃ち盛岡監獄署なり。)此時年齡が既に六十餘の老體であつたの

自分は一目見た丈けで、此異裝の男が、盛岡で誰知らぬものなき無邪氣な狂人、高沼繁であると解つ

さうナ。多分乞食をして來たのであらう。此盛岡に來たのは、何日からだか解らぬが、此頃は毎日彼

京都

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なり。』と云つた事があるさうな。『東北の京都』と近代的な言葉で云へばあ餘り感心しないが、自分は『みちのく

誰やらが初めて此市に遊んで、『杜陵は東北の京都なり。』と云つた事があるさうな。『東北の京都』と近代的

秋田

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後、お夏は門口に出て、其男の行つた秋田の方を眺め/\、幾等叱つても嚇しても二時間許り家

小川町

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と誰かの冷評した肴町呉服町には、一度神田の小川町で見た事のある樣な本屋や文房具店も出來た。就中破天荒な變

神田

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銀座通と誰かの冷評した肴町呉服町には、一度神田の小川町で見た事のある樣な本屋や文房具店も出來た。就中

銀座

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立派な二階立の洋館になつて居るし、盛岡の銀座通と誰かの冷評した肴町呉服町には、一度神田の小川町で

東京

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も置く富豪の御本宅かと思はれた縣廳は、東京の某省に似せて建てたとかで、今は大層立派な二階立

住吉

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であらう、少なからず濕々して居た。此家から程近い住吉神社へ行つては、昔を語る事多き大公孫樹の、まだ一片も落葉