鳥影 / 石川啄木
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になり、穂の揃つた麦畑の中を、睦気に川崎に向つた。恰度鶴飼橋の袂に来た時、其処で落合ふ別の
で男を迎へる。信吾はニヤ/\心で笑ひ乍ら川崎の家へ帰る。
の家、その周囲に四五軒農家のある――それが川崎の小川家なのだ。
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が二つ、一つは町裏の宝徳寺、一つは下田の喜雲寺、何れも朝から村中の善男善女を其門に集めた
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。『学校に居りました頃からの同級会が、明後日大沢の温泉に開かれますので、それでアノ、盛岡のお友達をお誘ひ
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を思出す毎に智恵子は東京が恋しくてならぬ。住居は本郷の弓町であつた。四室か五室の広からぬ家であつたが、
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運動場になつて、二階建の校舎が其奥に、愛宕山の欝蒼した木立を背負つた様にして立つてゐる。
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寧ろ弟の様に思つてるので)この春は一緒に畿内の方へ旅もした。今度はまた信吾の勧めで一夏を友の家
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ませんけれども、何だかアノ、生れ村を離れて北海道あたりまで行つて、此先奈何なることかと思ふと……。』
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路は少し低くなつて、繁つた楊柳の間から、新しい吉野の麦藁帽が見える。橋はその時まで、少し揺れてゐた。
』と、静子は少し顔を染めた。心では、吉野が来た為に急いで帰つたと思はれるのが厭だつたので。
て喜んだ。それで不取敢離室の八畳間を吉野の室に充てて、自分は母屋の奥座敷に机を移した。吉野と兄
。昌作も鮎釣にも出られず、日に幾度となく吉野の室を見舞つて色々な話を聞いたが、画の事と限らず
に跨つた自然の若々しさは、旅慣れた身ながらに、吉野の眼にも新しかつた。その色彩の単純なだけに、心は何と
『盛岡でお逢ひになつたんですつてね、吉野に?』
朝から昌作の案内で町に出た吉野の帰つた時は、先に帰つた信吾が素知らぬ顔をして、客の
恁う言つて吉野は縁に立つ。
と言ひ乍ら、吉野は庭下駄を穿いた。其実、顔がポツポと熱るだけで、格別酔つた
吉野はブラリ/\と庭を抜けて、圃路に出た。追駈ける様な
夜涼が頬を舐めて、吉野は何がなしに一人居る嬉しさを感じた。恁うした田舎の夜路を
吉野は、今日町に行つて加藤で御馳走になつた事までも、既う五六
烈しく胸を騒がせてゐる智恵子の歴然と白い横顔を、吉野は不思議な花でも見る様に眺めてゐた。
刻々中流へ出る、間隔は三間許りもあらう。水は吉野の足に絡る。川原に上つた小供らは声を限りに泣騒いだ
らの泣騒ぐも構はずハラ/\してる間に、吉野は危き足を踏しめて十二三間も夜川の瀬を追駆け
と、吉野は水から上つた。恰度橋の下である。
稍詳しく家中の耳に伝へられた。成年者達は心から吉野の義気に感じた様に、それに就いて語つた。信吾と静子は、顔
にか不愉快を感じたらうが、何がなしに虫の好く吉野だつたので、その豪いことを誇張して継母などに説き聞せた。
つて頻りに水泳に行く事を慫慂めた。昌作の吉野に対する尊敬が此時からまた加つた。
が信吾の脳を掠めた。『それより奈何です、その吉野の方へ行つてみませんか?』
智恵子の来なかつたのは、来なければ可いと願つた吉野を初め、信吾、静子、さては或る計画を抱いてゐた富江の各々に
若しや此話から、自分と死んだ浩一との事が吉野に知れはしないかと思ふと、その吉野にも顔を見せたくなかつ
の事が吉野に知れはしないかと思ふと、その吉野にも顔を見せたくなかつた。
兄に手頼つて破談にしようとした。が、一度吉野を知つてからの静子は、今迄の理由の外に、モ一つ、何
が、吉野の胸にあつたのは其事ではなかつた。渠は、信吾が屹度
に入ると、常ならぬ花やかな光景が、土地慣れぬ吉野の目に珍しく映つた。家々の軒には、怪気な画や「豊年万作
が、この歓楽の境地に――否、静子と共に吉野を一人置いて行くことが、矢張快くなかつた。居たとて別に話
の方へ帰つてゆく。月を浴びた其後姿を、吉野は少し群から離れた所に蹲んで、遠く見送つてゐた。
た! と彼は悔いた。何故モツと早く――吉野の来ないうちに言はなかつたらう※
「然し、」と彼は復しても吉野が憎くなる。「アノ野郎奴、(有難う御座います。)とはよくも言ひ
起る。そして又、段々家へ近付くにつれて、恋仇の吉野に対する自暴腹な怒りが強く発した。其怒りが又彼を嘲る。信吾
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へ差掛つた時、朱盆の様な夏の日が岩手山の巓に落ちて、夕映の空が底もなく黄橙色に霞んだ。と、
着いた。噪いだ富江の笑声が屋外までも洩れた。岩手山は薄紫に※けて、其肩近く静なる夏の日が傾いてゐた
男神の如き岩手山と、名も姿も優しき姫神山に挾まれて、空には塵一筋
は雲一片なく穏かに晴渡つて、紫深く黝んだ岩手山が、歴然と夕照の名残の中に浮んでゐる。
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の大路を、苛々した心地で人なだれに交つて歩いた事、両国近い河岸の割烹店の窓から、目の下を飛ぶ電車、人車、駈足をしてる様な急
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!』と目を大きく※つた。母のお柳は昔盛岡で名を売つた芸妓であつたのを、父信之が学生時代に買
通行少き青森街道を、盛岡から北へ五里、北上川に架けた船綱橋といふを渡つて六七
は、農繁の休暇にも暑中の休暇にも、遂ぞ盛岡に帰らうとしない。それを怪んで訊ねると、
富江には夫がある。これも盛岡で学校教師をしてゐるが、人の噂では二度目の夫だ
だ。服装を飾るでもなく書を読むでもない。盛岡には一文も送らぬさうで、近所の内儀さんに融通してやる
生れたのは盛岡だと言ふが、まだ物心付かぬうちから東京に育つた――父が
死んだ。母と智恵子は住み慣れた都を去つて、盛岡に帰つた。――唯一人の兄が県庁に奉職してゐた
、校外取締をすることになつた。富江は今年も矢張盛岡の夫の家へは帰らないので。智恵子にも帰るべき家が無
、モウ師範出のうちでも古手の方で、今年は盛岡に開かれた体操と地理歴史教授法の夏期講習会に出席しなければならな
旧友に逢つて来ると言つて、其日の午後、一人盛岡に行くことになつた。
時幾分と聞いた発車時刻にモウ間がない。急いで盛岡行の赤切符を買つて改札口へ出ると、
『盛岡までで御座います。』
学校は明日から休暇なさうですね。何ですか、お家は盛岡で?』
明後日大沢の温泉に開かれますので、それでアノ、盛岡のお友達をお誘ひする約束が御座いまして。』
『矢張その盛岡までです。』
が、不図思ひついた事がある様に、『貴女は盛岡の中学に図画の教師をしてゐる男を御存じありませんか?
信吾とが相対してゐる。吉野は三十分許り前に盛岡から帰つて来た所で、上衣を脱ぎ、白綾の夏直衣の、その
『若旦那様、お嬢様、板垣様の叔母様が盛岡からお出アンした。』
か被仰る、画をお描きになる……貴女にも盛岡でお目にかゝつたとか被仰つてで御座いますよ。』
又、自分とアノ人が端なくも※車に乗合せて盛岡に行く時、田圃に出て紛※を振つた。静子の底の底
『盛岡でお逢ひになつたんですつてね、吉野に?』
其翌日か翌々日、叔母と其子等は盛岡に帰つて行つた。この叔母は、数ある小川家の親籍の中
『盛岡に帰るさうだ。四五日中に。』
なくである。月の初めに子供らを伴れて来た盛岡の叔母が、見知らぬ一人の老人を伴れて来た。叔母は墓参の
てるところへ、肺炎が兆した。そして加藤の勧めで、盛岡の病院に入ることになつた。
病んだ五尺不足の山内は、到頭八月の末に盛岡に帰つて了つた。聞けば智恵子吉野と同じ病院に入つたといふ
代用教員に赴任することになつた。――その葉書は盛岡の病院なる智恵子と山内に宛てたもの。――山内には手短く見舞の
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が、静子は父信之の計ひで、二月許りも青森へ行つて、浩一と同棲した。
通行少き青森街道を、盛岡から北へ五里、北上川に架けた船綱橋といふ
去年の春首尾克く卒業したのである。兄は今青森の大林区署に勤めてゐる。
と心で言つて見た。青森にゐる兄の事が思出されたので。――嫂の言葉に返事
家が無かつた。無い訳ではない、兄夫婦は青森にゐるけれど、智恵子にはそれが自分の家の様な気がしない
列車が着くと、これは青森上野間の直行なので車内は大分込んでゐる。二人の外には
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卒業したといふ馬顔の沼田、それに巡廻に来た松山といふ巡査まで上込んで、大分話が賑つてゐた。其処へ
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せう? その吉野さんて方、この春兄様と京都の方へ旅行なすつた方でせう?』
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学校に入つた。一日から二十日間の休暇を一週間許り仙台に遊んで、確とした前知らせもなく帰つて来たのだ。
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今年の春の巴里のサロンの画譜を披いて、吉野は何か昌作に説明して聞かして
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進んだ。何と思つたか知らぬが、この暑中休暇は東京で暮す積だと言つて来たのを、故家では、村で
日も余つてる時に、信吾は急に言出して東京に発つた。それは静子の学校仲間であつた平沢清子が、医師の
も患つた時、看護に帰つて来た儘静子は再び東京に出なかつた。そして、此六月になつてから、突然政治から
、まだ二十日も休暇が残つてるのに無理無体に東京に帰つた様な訳で御座いましてね。今年はまた私が這※
入るまで、小学の課程は皆東京で受けた。智恵子が東京を懐しがるのは、必ずしも地方に育つた若い女の虚栄と同じで
御茶水の女学校に入るまで、小学の課程は皆東京で受けた。智恵子が東京を懐しがるのは、必ずしも地方に育つた
たのは盛岡だと言ふが、まだ物心付かぬうちから東京に育つた――父が長いこと農商務省に技手をしてゐた
であつた。その優しかつた母を思出す毎に智恵子は東京が恋しくてならぬ。住居は本郷の弓町であつた。四室か五
だ頃が思出された。亡母の事が思出された。東京にゐた頃が思出された。
に帰つた信吾が素知らぬ顔をして、客の誰彼と東京談をしてゐた。無理強ひの盃四つ五つ、それが全然
音響の中、頭を圧する幾層の大廈に挾まれた東京の大路を、苛々した心地で人なだれに交つて歩いた事
『えゝ、東京ぢや迚も見られませんねえ。』
『ア、貴女は以前東京に被居たんですつてね?』
『僕は東京へ帰りませう!』
つて来てくれぬ男を怨めしくも思つた。アノ人が東京へ帰ると、屹度今夜のことを手紙に書いて寄越すだらうとも思つた。
では、信吾が遅く起きて、そして、今日の中に東京に帰らして呉れと父に談判してゐた。父は叱る、信吾は
信吾の不意に発つて以来、富江は長い手紙を三四度東京に送つた。が、葉書一本の返事すらない。そして富江は相不変
〔「東京毎日新聞」明治四十一年十一月〜十二月〕
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は少し言淀んで、『昨日発つ時にね、松原君が上野まで見送りに来て呉れたんだ。……』
列車が着くと、これは青森上野間の直行なので車内は大分込んでゐる。二人の外には乗る