死体の匂い / 田中貢太郎
地名一覧
地名をクリックすると地図が表示されます
角に、一二軒の家を残して湯島天神のあたりから神田明神にかけて焼けているのが煙雲を透して見えた。そこここに立っている
地名をクリックすると地図が表示されます
翌日私は本郷の西片町へ往って、そこの友人と一緒に本郷三丁目の方へと往った。
本郷の方にちょっと用事があったので、それへ廻り道をして大学の正門
電車通りを往って、二日の日に一度見ている本郷の焼け跡の灰を見ながら、若竹の前を通って順天堂の手前へ出た
地名をクリックすると地図が表示されます
に逢ったので藩邸へ伺候した。白石はそのころ湯島に住んでいたが、家のうしろは高い崖になっていた。その
を書いた仮名垣魯文のことも浮んで来た。魯文は湯島の妻恋下に住んでいた。魯文の住んでいた家は、二人
地名をクリックすると地図が表示されます
渡してもらって、浅草公園へと廻った。公園では浅草寺と観音堂とが残っていた。その観音堂は銀杏の緑葉に取り囲まれて涼しい
地名をクリックすると地図が表示されます
。二日三日のころにはその両国橋をはじめ、厩橋、吾妻橋の橋杙に、死体が一ぱいになっていたということを聞いて
地名をクリックすると地図が表示されます
だという声が人びとの口から漏れるようになった。牛込の下宿から私の家の安否を気使うて来てくれた若い友達は、
地名をクリックすると地図が表示されます
一大凶変が突如として起り、首都東京を中心に、横浜、横須賀の隣接都市をはじめ、武相豆房総、数箇国の町村に跨がって、
地名をクリックすると地図が表示されます
すぐ近くの寄宿舎の庭へと伴れて往った。そこは奈良県の寄宿舎であった。私はそれから足に怪我をしている客を負ぶっ
地名をクリックすると地図が表示されます
を確かめ、心配していることが杞憂に終るようなら、本所の方へ往って被服廠跡を見ようと思って、深川から避難して来
私の心配は杞憂に終った。私ははじめの予定通り本所に往くことにして、呉服橋を渡り、それから日本橋の街路を横切って、
地名をクリックすると地図が表示されます
国技館の外形は整然として両国の空を圧して、火災に逢ったとは思われないほどであった。私は橋を渡って
右の方には両国の汽車の線路が、焼け跡の灰の中に浮いて連なっていた。それは鉄骨かなん
地名をクリックすると地図が表示されます
に寄った方の角に、一二軒の家を残して湯島天神のあたりから神田明神にかけて焼けているのが煙雲を透して見えた
地名をクリックすると地図が表示されます
として残っているのは、その塀と涵徳殿と後楽園の入口にある二棟の土蔵とであったが、その涵徳殿も土蔵
地名をクリックすると地図が表示されます
した。数日して藤坂上の友人に聞くと、水戸邸の遺物として残っているのは、その塀と涵徳殿と後楽園
、ばらばらに崩れていた。私はそれを見て、水戸屋敷の記念物もとうとうなくなったなと思って、ちょと惜しいような気
砲工学校の塀であった。瓦と土とで築いた水戸邸の遺物としての古い古い塀も、ばらばらに崩れていた。
地名をクリックすると地図が表示されます
焼き、帝劇を焼き、日本橋、京橋、浅草を焼き、本所深川を一舐めにして、圧死者の上へ無数の焼死者を出した
本所の方へ往って被服廠跡を見ようと思って、深川から避難して来ている友人に警備の代理を頼んでおいて出かけた
地名をクリックすると地図が表示されます
欠くとも言うべき一大凶変が突如として起り、首都東京を中心に、横浜、横須賀の隣接都市をはじめ、武相豆房総、数箇国の
東京全市三分の二を焦土と化した猛火の煙は、二つの大きな
地名をクリックすると地図が表示されます
、その近くに住んでいる友人の家へと往った。大塚行きの電車の線路に沿うた両側の家では、皆線路の上に
地名をクリックすると地図が表示されます
起った。私たちは甲武線の汽車の線路に這いあがった。神田方面から飯田町にかけて一めんの火の海となり、強い風がその
角に、一二軒の家を残して湯島天神のあたりから神田明神にかけて焼けているのが煙雲を透して見えた。そこここに立っ
地名をクリックすると地図が表示されます
火は警視庁を焼き、帝劇を焼き、日本橋、京橋、浅草を焼き、本所深川を一舐めにして、圧死者の上へ無数の
渡してもらって、浅草公園へと廻った。公園では浅草寺と観音堂とが残っていた。その観音堂は銀杏の緑葉に取り囲まれ
に吾妻橋の袂から荷足船で兵士に渡してもらって、浅草公園へと廻った。公園では浅草寺と観音堂とが残っていた
地名をクリックすると地図が表示されます
て寝た。火は警視庁を焼き、帝劇を焼き、日本橋、京橋、浅草を焼き、本所深川を一舐めにして、圧死者の
ので、引き返し、欄干の粧飾の焼けて鎔けかけた日本橋を渡って、外形ばかり残った三越の建物を見ながら、また本石町の四辻
通り本所に往くことにして、呉服橋を渡り、それから日本橋の街路を横切って、白木屋の焼け跡に沿うて往きかけたが、本石町
地名をクリックすると地図が表示されます
した右側の焼け残った路を往って、順天堂のあたりから水道橋の手前まで一撫でにした火の跡を見て引き返した。
地名をクリックすると地図が表示されます
高い塔も焼けて、頂上がなくなっていた。それからお茶の水橋を渡ろうとしたが、橋桁からまだ煙が出ていて危険な
地名をクリックすると地図が表示されます
厩橋が渡れないことを聞いているので、仕方なしにまた浅草橋の方へ帰って往って、そこから両国橋へと往った。
それは浅草橋であったが、周囲の目標がなくなっているので判らなかった。私
地名をクリックすると地図が表示されます
煙突のある建物が眼についた。私ははじめてそれが蔵前の専売局だということを知った。そこで私は馬喰町の方は日
出入りしていた。私は橋を渡って往った。蔵前の専売局の煙突がすぐ前岸に見えた。右側には大きな邸宅跡の石垣
地名をクリックすると地図が表示されます
私は公園の山のベンチに腰をかけて、上野の山を眼界にして左右にひろびろと広がった白い焼野原を見ながら
地名をクリックすると地図が表示されます
た。火は警視庁を焼き、帝劇を焼き、日本橋、京橋、浅草を焼き、本所深川を一舐めにして、圧死者の上へ
地名をクリックすると地図が表示されます
、仕方なしにまた浅草橋の方へ帰って往って、そこから両国橋へと往った。
と膨れあがっていた。二日三日のころにはその両国橋をはじめ、厩橋、吾妻橋の橋杙に、死体が一ぱいになっていたと
地名をクリックすると地図が表示されます
監視していた。私は中央の車道を通りながら、神田川の口の手前になった岸の方に眼をやった。退潮の赤