獄中への手紙 08 一九四一年(昭和十六年) / 宮本百合子
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、二日には(きのう、よ)あの氷雨の中を横浜まで出かけ、かえり寿江子のことで国が用があるというからまわって、けさ
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料理屋よ)の娘だけはそう小説の中にかいて、軽井沢へ持って来た米がちがうなんかということかいたり、不自由なく育つ娘
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云っていたら、それでも立ってしまいました。今瀬戸内海にてとハガキが来ました。熱もなくなった由。よかったこと。強引ですね。
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そこでは防火用の設備もいろいろときまりがあって、小石川の高田老松の辺や目白の方もそういう方らしい様子です、戸山ヶ原その他
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た。おばあちゃんは八十二歳です、二十九日三十日と箱根へ一家で一泊に行って、おばあちゃんは極楽だったそうです。タア
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入れれば「心の河」「白い蚊帳」ぐらいね。「高台寺」も、もうすこし深く見てかいてあるといい作品だけれど、あの時分に
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最後の船が日本に来て、それと交換のようにリスボンから日本の船が出るらしいの。外務省へ電報が来ました由。緑郎も
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の真実が語られているのだから、まざまざとしてウィーンの破壊された建物の話でもね。そのアパートメントを私は見物に行っ
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三省堂の辞典のことはきのうお話ししたとおり。支払表その他謄写料というの
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合同のことを話していました。子供づれで北海道から九州へゆくという一家があったり。いつもよく今頃旅行して、崖のくずれた
、下らなく消耗しなければならないのにね。この間九州で汽車の事故がおこったときだって、死んだのは女、子供よ。
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番衆町ってどこいらでしょうね。きっと賑やかなところでしょうね。音羽の家は、空俵屋の角を入り、もとのホーヘイ工廠の山の下で
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生活から書いたという小説をよみました。ゴーギャンは、ロンドンの株屋だったのね。それが四十歳を越してから絵をかきたくて
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由。もう十日ほどすると出版局の人がかえります(大阪)から、そしたらきいて見て無理をたのみましょう。その人は杉村と
迄三等一円五十五銭が二円十銭となり、大阪まで五円九十五銭が七円七銭。急行寝台を利用すれば現在より六
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戸塚のおばあさんのお見舞に行ったらばね、おばあさんの方は、小さい
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ついてどうかいているかも興味があります。昨夜、ベルリンで買って来た画集出してみて、新しく真摯な仕事ぶりに感服しまし
たのですって。一八八五年というから十九歳位のときベルリンで画を修業しています、コルヴィッツというのは兄さんの友達なのね
のは兄さんの友達なのね。この人は医者です。ベルリンの労働地区の月賦診療所をやっていて、そこでケーテは実に生々しい生活
もの、というところは分っているようです。諏訪根自子はベルリンだそうです。音楽に国境がないばかりか、ベルリンではさぞ自由にやって
根自子はベルリンだそうです。音楽に国境がないばかりか、ベルリンではさぞ自由にやっていられるのでしょう。この若い女性もそういうことで
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との間の衝突で、どうにも苦しかったのです。ニューヨークで、どんな気持でどんなに暮しているのでしょうね。メトロポリタン[自注2]で
[自注2]メトロポリタン――ニューヨークのメトロポリタンミューゼアム。
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昔札幌のバチェラー(アイヌ研究家イギリス人)のうちにいたとき、夜お婆さんがトランプ
のすぐ下に千鶴子というのが生れて、その子は札幌で生れ、へその緒を産婆がランプの芯切りばさみで切って(!)それを知ら
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ひやしてフーフー云って臥て居りました。あっちの細君は四国巡回の講演です、銃後奉公の。では明日ね。
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ひどく疲れているそうです。春子さんという、学校は(小豆島の)一番でとおした女の子が手つだいに来ていて、それが大したもので
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て、あんな不便なところにも移っているのでしょうね。武蔵野が、そんなに近く実現する変化について全く知らなかったというようなこと
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ですからという意味で返却されました。何でも鎌倉のホテルの何かをかいたと思います。地図はね、行ったら無いと
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宛 徳山駅にて(徳山市街の一部(※)、徳山市熊野神社(※)、縣社遠石八幡宮(※)の写真絵はがき)〕
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。チェルヌイシェフスキーだって、ね。あれは二十年。この間、丸の内を歩いていて、ああ成程、と感服したことがあります、地理に
夕方や朝、丸の内に津浪のようにさしよせる灰色の人浪を見ると、余りただ一色の人間
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居ります、箱根細工の箱のハガキ入れ(稲子さんみやげ)鵠沼の竹の鎌倉彫りのペン皿(小原さんという、お恭ちゃんをよこして
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十條に白い山茶花が咲いていた庭、そこでたべた味つけ御飯。花もいろいろ
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ますね。沁々そう思いました。十二世紀に入って、比叡山の山僧があばれはじめたとき、それは何かであったと思われます。
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二十二、十九、十六という。けさはおKちゃんの兄が豊橋へ幹部候補生の学校で来ているのが、休暇で福島へかえったのが
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森長さんは四谷の方へ引越されたハガキが来ました。そして謄写は皆出来て、多分
のことでしたから、夜でも電話して見ましょう。四谷の番衆町ってどこいらでしょうね。きっと賑やかなところでしょうね。音羽の家は
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小説は、筑摩の仕事まとめてからかかります。ほんとに骨格のしゃんとした、肉づけの厚くて
それはともかくとして八・九は筑摩の仕事です。さもないと、ユリの河童の小皿が乾上りますからね。そっち
筑摩の仕事をすまして見てその頃の状態によって、暮しかた考える必要が
沙汰ですが、私は仰言るように背水の陣をしいて筑摩の仕事をしようと思うので、そのためにはやはりいて貰わなくては
。さあこれで引越しにつづくバタバタは一段落ね。そして愈※筑摩のにとりかかります。
筑摩の本は決心して、やはり云っていらしたようなプランでやります。古典
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。ひどい風邪をやって、大分参ったらしい様子でした。北海道のおっかさん、二月が近づくと東京が恋しくなって来る心、ねえ。そして
繁治さんでした。まアねったよう、というのは、北海道のおっかさんでした。それに豪徳寺でおりたら健造とター坊が、父ちゃん
北海道のおかあさんの次の息子がやっとお嫁さんをきまりました。その嫁さんを
おキクさんのよかった面をふっと思い出し、あのひとも北海道だったと思い、何だかいろいろ感じながら、霊岸島の方へ歩いてい
商売人の合同のことを話していました。子供づれで北海道から九州へゆくという一家があったり。いつもよく今頃旅行して、崖の
。例によって二三日中には上りますそうです。北海道の方は一段落ついた由で、珍しく電話口で声をききました。
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は全く描けず、それでも絵は時々随分すきです。パリから大きいトランク一杯に複製だの画集だの買って来て。あれらは誰
描き出してゆくというところ迄育っていなかったのね。パリや何かからかえって、「広場」でああいう風に、自然発生ながらはっきりは
そんな婦人作家があるでしょうか、ねえ。コレット婆さんなんかやっぱりパリで、おしゃれの店出して、それがフランスの外貨カクトク法だからとモードこしらえて
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されたら、オヤ、このひとの机の上には小さい琉球の唐獅子夫妻と、妙に思案したような形の茶色の小熊とがのっ
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。まあ、又のおたのしみにしておきましょう。かえりに倉敷で一寸おりて大原コレクションを見ようかと思いましたが、これまた汽車のつづき
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七月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 己斐より(縮景園浅野泉邸の写真絵はがき)〕
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ね。浩子さん本当に名残惜しそうでした。でも今度引越す代々木上原というところのごく近くに女の従姉だかが家をもっていて、
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、『進路』を島田へお送りしたりしてそれから青山へ出かけました。花がどっさりあって、賑やかな様子でした。しかしいつもここ
亡くなったときは私は小学の一年ぐらいだったかしら。青山まで雨の中を俥で行って長くて眠たかった覚えがあります。
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の講演会できのう話した由。その話をしたひとはハワイがえりの女のひとで十五から二十年いて、かえって十年。あっちに娘
の職業はおいなりさんの神主なんですもの。可笑しいことねえ。ハワイでおいなりさんを信心していたのねえ。職業はこのヘム夫人が理髪をやっ
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というのは、北海道のおっかさんでした。それに豪徳寺でおりたら健造とター坊が、父ちゃん来られないんだってと来てい
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一九二九年の五月はワルシャワでね、その朝の光景なんかいつか書きましたねえ。みんな目に見えるよう
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豊橋へ幹部候補生の学校で来ているのが、休暇で福島へかえったのが、かえりにより。この家の人たちは、実に
は少なからず日本の画学生に貢献しているのよ。福島という現代画家の相当のコレクションをしていた人のところへ見せて
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絵が部屋に欲しくてたまりません。今あるのは、松山さんの近来の傑作と柳瀬さんのホラあの水屋のスケッチ。どうもこちらの
に腰かけて海を眺めたらいい心持で、海をわたって松山へ行って見たくなりました。柳井から何時間かしら。海の上を風
よさがあるのではないの? 高校と云えば松山ゆきも実現いたしませんね。柳井から高浜までたった四時間半ぐらいな
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た。まアこれで私の日常も再び順調になります。仙台のおみやげという堆朱のインクスタンドだの、お母さんのおみやげのころがき玉子
、又その次の日は私もついて行って、五日に仙台へ手紙を出したという順でした。ねあせかいたりしていた
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肥料はやすいが、干物にして売り出すとずっとたかくて、静岡辺ではその干物を買ってお茶の肥料にしますから。こういう
※大雨の被害は静岡までに目につきます。泥田になってしまっているところもありました
ね。人々は窓からのり出して線路をのぞくのよ。主に静岡までです。
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があるのね。例えば歌よみの吉植庄亮という男は千葉で大地主で多角経営をやっています、代議士よ。蘇峰そっくりな顔
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今度のはね、いろいろの点が前とちがって又あとから広島へ行くということも出来ないかもしれないし、一切がひっそりで組合
さんと休んでいて、おひる皆でたべて「もう広島へついてじゃろう」と云いながら終りかけたら、あのお爺さん野田、あの
輝はきのう(十六日)一日広島でくらしたのですこし疲れ亢奮して夜珍しく泣きましたって。
そして、私が一緒に広島へ行ってやろうかと思ったけれど、まあ、と考えて友ちゃんと水
いう人ですって。このひとは先に達ちゃんに会いに広島へ行ったとき会ったひとです。なかなかはしこい男の由。でもお母さんは
上、一時五分の上りでお立ちでした。今夜は広島泊りです。
私が立って行ったら、びっくり間誤ついた顔で、広島からですの、というの。まあ、といそいで出てきいたら、外
もうそろそろ四時ね。広島へおつきになるわ。相生橋のそばに宿がありますから、この
をして二階へあがったら、チリチリチリ。いそいで降りたら「広島からです」、様子をお母さんがおききになるのかと思いました、
いうことだとあります。それでもお母さんたちは昨晩は広島に一泊。いろいろの様子をきょうきいて、そしておかえりになるという
で悪化するって。だからキーキー声も出たわけよ。広島で盲腸の手おくれで命をなくしてなんかいられませんからね。しかし、
というのがこの頃の原則らしくてね。きょう、Tが広島へ部分品を買いにゆくついでに何とかして様子をきいて来る
たところ迄しか分っていないし、Tというひとが広島へ部分品を買いにきのう行ってよって見たがやはり様子は不明。一昨
どうもきょうの天気は困りね、可哀そうに。広島で三人はどうしているでしょう。今一降り大きく降って、うちは二
七月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(広島・紙屋町電車通附近(一)、大本営(二)、饒津神社(三)
病院のうちならば会えるというので。きのう三人で広島へ行ったとき、河本という小さな宿屋へ、おむつや着がえのボストンバッグをあずけ
一)七月二十八日、きょうから友ちゃんが三十一日迄広島へ泊って来ます、病院のうちならば会えるというので。きのう三
お母さんはけさ三時十二分かで広島へお出かけ。二時におきてお見送りして五時半におきて店の
友ちゃんは二十八日広島へゆきましたが、昨夜電話で、赤ちゃんが熱をすこし出したと云っ
折。けれども、もう私から話す折はないでしょう。もう広島へは行きませんし、私も二日にはかえりますから。そちらから
つもなくなりました。食堂、寝台も減少しました。広島宮島間は汽車のよろい戸を皆おろします。めくら列車が真昼間走ってゆくの
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時半だから、もし誰か迎えに来ていたらカバンと岡山の駅で買った白桃のカゴをもたせてかえして、私は一寸池袋
きのうはタイ風が岡山の方を荒して東京はそれたそうですが、きょうの風は何と
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鶴さんは甲府とかへ講演に出かける由。おばあさんが丹毒にかかっていて、
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きょう手紙来。九日の午前二時とかに立って福岡へゆきました。病院の東門前の泉屋という旅舎です、母さんと。そして
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一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
。今年も梅、南天、松、福寿草かしら。昨夕散歩に目白の通へ出たら、ボケの真紅の奇麗な鉢がありました。
一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月三十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月五日ひる 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
。だから立木だの建物だのにさえぎられて、この目白の物干しへ出て眺めるようなひろびろとした空間、視野の遠近がなく
二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
、それで机の前にねばって居ります。昨夜寿江子と目白の通りを散歩して、この間うちから云っていた今年の十三日
も印象はっきりして面白いのね、歩いてみるのが。目白の通りに一軒釣道具屋があって、その店には気がついて
二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(代筆 封書)〕
三月四日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
時―九時。歩いて十分以内のところで大通りです。目白通りの先の左側の交番ね、あのずっと手前ですから。はりきりです。ああ
三月四日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(速達 封書)〕
三月十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十五日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
の余儀なきに至りとありました。うちの配給米屋は目白の消防署の裏です。一週間ごとに配給して来るそうです。一日
覚えていらっしゃるかどうか、目白の方から上り屋敷の駅へぬける通りに大野屋という米屋があって、
四月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
土曜日に周ちゃんを送って目白の駅の横で自働電話を森長さんのところへかけました。そして雨
四月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月六日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
ありがたいとよろこんで居ります。工合によってはうちで(目白で)気をつけて癒して行けたらいいと思っていたのですが
赤く咲いている丘を歩きながらそんなことも訊きました。目白から電車だけ小一時間ね。
五月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月三十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
到着いたしました。西とかきかけて半分で消してちゃんと目白となって居りました。
五月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(紀伊田辺・元島遊園地の写真絵はがき)〕
五月三十一日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(紀伊田辺・文里港の写真絵はがき)〕
六月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
行って、もう二枚もハガキくれました、二枚とも目白四ノと書いて三に直してあります。四ノ六二? かが
六月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
ね、私は再び、というよりは寧ろ忽々に舞い戻って目白のテーブルでこれをかいて居ります。
六月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
、そういうのはよくないから。林町と同じことで。目白から送ってくれというお話だったのを、今度そちらへ行ったとき
八月八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
きのうはそちらからかえりに池袋で円タクひろって、目白へまわって荷をもって林町へゆきました。寿江子は十四日に立つ
八月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
までに一応あっちのものをこっちへもちこめるようにして、目白の荷は三日にもち出しました。九月一日に、何と話が
をもって林町へかえりました。大変妙だったわ、目白からかえるなんて。足かけ五年の古戦場ですもの、無理もないと思います。
整理なんかをポツリポツリとやり、きのうの火曜日はあれからかえりに目白へまわって近所へみんな挨拶をして、おばあさんを新しく紹介して
月曜日はおあいさんは目白に働いて、私はこちらに一人で、いろいろ古い雑誌の整理なんかをポツリポツリ
さて、九月二日、目白の方へ下すったお手紙。この前の手紙にこの手紙へのこと素通り
を買ってもって上りましょうとお約束してあります。目白の鶏屋がよいから。前から電話しておいて、よってもって
そちらのかえりにずっとまわりましょう。いつかは五年前、目白へ引越したばかりのとき来て下すったし、今度はこっちへ来たばかり
三軒茶屋の家にいられます。ハガキが来て(目白宛に)来たいとおっしゃるから、いつも、あっちからばかり来させてわるいから
だの音だの、そういうものを想像いたしました。目白だったらこわかったろうと思いました。あすこは南が実にふきつけるのよ。
もいろいろときまりがあって、小石川の高田老松の辺や目白の方もそういう方らしい様子です、戸山ヶ原その他があるからでしょう。こちら
と云って。大して悪い成績でもありません。けれども目白のようにはいかないときもあります。北の四畳へ籠城ときめ
読んでノートとって勉強して、午後から太郎をつれて目白へ出かけました。
て、お菓子を三つもたべて五時ごろ出かけて、目白の通りのビリヤードのすぐよこの鳥常という昔から出入りの店へよっ
目白へ行って、顕微鏡で人間の血液、兎の血液、蛙、やもりの血
半分となりました。ガスも電気もずっと節減。この間目白へ行ったらば、あすこの町会の貯金が二円(毎月)になった
閉めますから、階下よりずっといいのかもしれないわ。目白はいつも乾きすぎて上気せるようで苦しいほどでしたが、こちらにはそれ
使いはじめました。今年はどうやらタドンは足りそうよ。目白からもどっさりもちこみましたし。あすこの二階は足あっためだけで大体
この頃時々、目白での或ときの心持、感情を思いおこします。その感情に淋しいという名
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一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月三十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月五日ひる 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
二月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(代筆 封書)〕
三月四日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月四日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(速達 封書)〕
三月十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月二十五日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月六日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月三十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(紀伊田辺・元島遊園地の写真絵はがき)〕
五月三十一日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(紀伊田辺・文里港の写真絵はがき)〕
六月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十五日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 徳山駅にて(徳山市街の一部(※)、徳山市熊野
七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡光町上島田より(封書)〕
七月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
七月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
七月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡光町野原より(山口県・室積海水浴場の写真絵はがき
七月二十二日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県野原より(山口県・室積港(※)、室積湾鼓ヶ浦
七月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
七月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 己斐より(縮景園浅野泉邸の写真絵はがき)〕
七月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(広島・紙屋町電車通附近(一)、大本営
七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
八月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 麻里布駅にて(錦帯橋美観「錦川に架して」(
八月八日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 本郷区林町二一より(封書)〕
九月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(「ロシヤ寺院・哈爾浜」の写真絵はがき
十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(青木達彌筆「薄」の絵はがき)
十一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 神奈川県国府津前羽村前川より(封書)〕
十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十二月七日 [自注8]〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
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東京って、一月十日ごろよく雪ね。父の亡くなった年も一月
らしい様子でした。北海道のおっかさん、二月が近づくと東京が恋しくなって来る心、ねえ。そして、弟息子のボロ洗濯を山ほど
うちは組合で、そうしなくてもいいのですが。東京は二合とすこしになるのでしょう一人一日。御飯のお客なんかは出来なく
生活力、真夏のあつさのたのしみかた、旺ですきよ。東京は雪の少いのだけでも物足りませんね。特に今年は一月
云って、トロトロになって云って居りました。そして、東京へ来るって云ったら、おら、どうすんだ、道ばたさばっかりいんのか
しまったわ。何とひどい風になって来たでしょう。東京の春は、これでいやね。女の人はちっとも美しくなれないわ、
新緑を見たいというとあっちこっち田舎を考えるけれど、足まめなら東京のいろんなところに新緑が見られるのだから、と。冬の雪、今ごろ
で、そっちも見て来たことがあるのですって。東京暮しにちっとも困ることはないでしょう、きれいな人よ。どうかうまくゆくよう
いろいろのことが一目で比較される、そういう面での東京女は手に負えないというわけでしょう。浩子さんというひとは正反対に
なんか分らない人の方がいいと云う条件でしたって。東京の女なんかいやだというのですって。でもこの浩子さんというひと
、もうすこし待ってなんかというのわるいし。それに東京の八月、御本人もそれは戦地へ行ってたのだからと云え
あれは大助りよ(電報)東京官報ハンバイ所なんて電話がないのね。ああ閉口と、行かなければならない
よかったでしょう。お母さんは、今度達治が戻ったら三人で東京へ行かそう、と云っていらして。――そのお気持もわかるでしょう?
お米です。でもやっぱりおかずに困っていらっしゃるのよ、東京と同じねえ。何にしようときめるとその材料がない、それで又考え直し
こっちももののないことは東京と大差なしです。お豆腐もなかなか手に入らず、野菜も少い。お
自動車か何かをやったんですって。第三高女(東京)を出ていることまで僅か五分間の店先のお喋りで話してゆきまし
ねているうちに、もう室積からここのとつれ立って、東京からお客さんが見えたそうでって来た由。こういう風なんでね
野原からかえりました。野原から島田市のところまでは人通りが東京のどこかの横町のようよ。野原の徴用土工たちは、朝六時
いて身がちぢまる思いですが、仕方がないわ、やっぱり東京でやることにいたしましょう。
いろいろ無理だし、第一、八月という月一杯、東京にいないという気にもなれず。本屋のこと考えると余りのびて
机で達ちゃんへの速達のかきぞめをいたしました。どうせ東京へかえるなら、達ちゃんにもう一遍あえるならあって、そしてかえりたいと思っ
わるくて、あのあたりで急行にのりついだりしたら、立って東京迄かえらなければならないでしょう。これも亦いずれのおたのしみ。
、また深刻でね。云いかえてみれば、ここにいて東京から来る留守居の手紙に、八百屋の店には玉葱とモヤシしかなくて
何をまごついたのか一筆も申してよこしません、もう東京にいないのでしょうね。いやんなっちゃう、というのは、この間、
ここにも今年は家ダニがいます。全国的なのかしら。東京は南京虫のいるところは凡そどこときまっていたのが、相当どこに
に岩国のひともあったようですね、学者で。明朝東京は七・三〇ですが、どうかしら、そちらへすぐまわる元気あるかしら。今
かかんちがえをして、土曜日だと思ったのよ。東京につくのが七時半だから、もし誰か迎えに来ていたらカバン
きのうはタイ風が岡山の方を荒して東京はそれたそうですが、きょうの風は何と野分でしょう。すっかり秋に
たようにしていらしたけれど東京ではいかがでしょう。やはり東京が気が楽なのね。大した家柄のおよめさんなんておじさんには
ね。田舎ではすっかり呆けたようにしていらしたけれど東京ではいかがでしょう。やはり東京が気が楽なのね。大した家柄のお
おっしゃるとおりと思っているのですけれど、はかどらないことよ。東京市もところによっては指定区域というものが出来る(出来ている様子
『文学史』、一昨日あれから神田へまわりました。東京堂で年鑑を見たらアルスから出ているので、とってくれと云っ
故障ですって。それでもいいあんばいに大したことなくて、東京のうちに暮し、八十のおじいさんは茅ヶ崎とかに下の弟の
二百何種とかという話ですが、八十何種は東京だけでしょう。文学を勉強してゆく人たちの道というものは近代日本
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駅にゆくなどという昔のハイカラーなのりかたは夢で、上野なんか西郷の銅像のあたりまでとぐろをまきました、それは暮だけれど、
、あれで大分学んで、明治初年の『女学雑誌』を上野で見て得たところ補充しました。夏葉は青鞜の時代にまとめて
しまい込んで、その上でうんさうんさとやって、きょうは上野へ参り、それで年表が終り、校正に目をとおし、それで放免です
『文芸』の仕事の間、あついときも上野で暮して、これも実にいい習慣です、その点、やはりのんびりした
上野へは白田と云って従兄で、これも目下やっているのが送りに
ている人が何人かありました。フーフーになって、上野から林町へまわって、咲枝の帯をかりてしめて、そしてそちらへ行き
昨夜、おばあちゃんが八時三十四分でかえり、それを上野へ送って行って、きのうから三人となりました。家が見つかる迄
の書物がこんなに露出されていると、本当にせめて上野の図書館ぐらい安心であってほしいと思いますね。もしあすこが本当に安全
は神田でさがして来なければなりません。さもなければ上野へ行くわ。その方が能率的ね。日本の古典をよむに、必要も
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ゆうべは座談会で、日比谷の陶々亭を出ようとしたら雨になっていたので、あらと
命日の会食のかえりに雪見を寿江子としたり。新緑の日比谷は、日頃ここに手入れしている人をありがたいと思います。
の重りの奥ふかい軟かさ、色調の変化の素晴らしさ。日比谷も全く見ちがえます。この公園は私たちの生活にどうもなじみふかいのよ。
、実にのーのーしたくて、六時ごろ出かけて、日比谷の新緑見物いたしました。すこしおそすぎて、もう若葉にさす夕方の斜光
の美しさは夢中にさせるところがあります、そして、日比谷を歩きながら考えてね、新緑を見たいというとあっちこっち田舎を考えるけれど
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さんから帯を祝ってやるものだときいたので、銀座の裏のちょいとしゃれた店へ奇麗な帯を注文してあったの。
あれからね金星堂へまわり、高山へまわり、銀座へ出ました。咲枝が三十三になったのよ女の厄年と云われ
ときどき思いがけないボンボンを見つけたりして話しますが、きのう銀座の方で、私は何とも云えない見事な花の蕾を見た
でなくて。きょうもしずかな暖い日でした。あれから銀座へ一寸まわって、子供たちへおみやげ買って、永福寺の近くへ行きまし
その又前は銀座にいて、これもたまにお話する古田中という母のたった一人の女
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こんにちは。きょうは寒い日です。きのう神田へまわったら魯迅全集がなくて、きょう、とりよせておいて貰うことにし
咲枝たち開成山に行っていて、私が国男さんを神田の支那へよんで、緑郎とおもやいでゾーリンゲンのナイフをおくりものにした
『文学史』、一昨日あれから神田へまわりました。東京堂で年鑑を見たらアルスから出ているので
じゅうによみあげてしまうのよ。カル※ァートンの本は神田でさがして来なければなりません。さもなければ上野へ行くわ。その
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きのうは、あれから小川町にまわって高山から本をとって、伊東やへ行って子供たちへのお
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て、朝日へ出るまで日劇の横の谷間の風! 有楽町の駅は今とりひろげかけていますが、全く今のままではお話
風がきつくて埃ひどくて顔がパリパリになりました。有楽町の駅からおりて、朝日へ出るまで日劇の横の谷間の風!
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石板のこと、きょう申上げたとおり。それは池袋の武蔵野電車の売店にあったのよ。子供の算術遊びのいろいろの木
買った白桃のカゴをもたせてかえして、私は一寸池袋から降りてまわってしまおうかしらと考えて居りました。そして鏡を見て
きのうはそちらからかえりに池袋で円タクひろって、目白へまわって荷をもって林町へゆきました。
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に、やすくて可愛いタバコ入れを買って(のむのよ)新橋からのって、早くかえって早くねむりました。そんなにして、羽根をのし
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書いたりしていること御同感の節もあるでしょう? 亀戸に住んだりしたの「くれない」以前なのよ。そのことについ
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の。この頃のはこういうのよ、ひどいでしょう? 原宿から右の方へ行って、河に沿ったところですというの。その
もっと先にお話ししたいのは、きのう、雨の中を原宿の方へ浩子さんとアパート見に行きました。新聞の広告を見て
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それから渋谷へ出る大通りの角で蚊やり線香を買ってかえり、二人で青い豆の入っ
とおり相当くつろいだ一夜でした。山崎の周ちゃんの店は渋谷から出る東横バスの若林というところのすぐわきです。おりて、どこかしら
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浩子さん、きょうは又世田ヶ谷へゆきました。その前に千駄ヶ谷の方のアパートを見てから。私もそろそろ本気に仕事したいから家
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。(おびんずる、って何だか御存じ? それは浅草のカンノンさんなんかにもある妙なつるりとした坊主の坐像で、自分
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九月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(「ロシヤ寺院・哈爾浜」の写真絵はがき)〕
十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(青木達彌筆「薄」の絵はがき)〕
十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
月七日 [自注8]〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
、真珠湾攻撃、太平洋戦争開始。十二月九日朝百合子、駒込署に検挙。
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一輪は五分ひらき、随分きれいです。そちらからのかえり護国寺の角の花やで買いました。これからはあすこでおみやげに何か