樹木とその葉 02 草鞋の話旅の話 / 若山牧水
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これと栃本の下を流るゝものとが合して本統の荒川となるものであるが、あまりに峽が嶮しく深く、終にその姿を見ること
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その水源林を爲す十文字峠といふを越えて武藏の秩父に入つた。この峠は上下七里の間、一軒の人家をも見
遠望がよくきいた。近く甲州路の國師嶽甲武信嶽、秩父の大洞山雲取山、信州路では近く淺間が眺められ、上州路の碓氷
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た。近く甲州路の國師嶽甲武信嶽、秩父の大洞山雲取山、信州路では近く淺間が眺められ、上州路の碓氷妙義などは恰も盆石
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まつた。そしてよく聞いて見ると大阪ではなくずつと舊く鎌倉の落人であることが解つた。村人はその時の事を恨み、この
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くる。箭の折れたのも流れて來た。若しや大阪の殘黨でも隱れてゐるのではないかと土地の代官か何かゞ
木にくゝしつけてしまつた。そしてよく聞いて見ると大阪ではなくずつと舊く鎌倉の落人であることが解つた。村人はその時
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下野に近い片品川の上流に沿うた高原を歩いた時、その邊の桑の
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の一軒家に泊めて貰つた。二軒ともこの邊の甲州と信州との間の唯一の運送機關になつてゐる荷馬車の休む立場の
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ながら左手の澤の底にその水音ばかりは聞いて來た中津川といふがあり、これと栃本の下を流るゝものとが合して本統の
に降りた。そして昨日姿を見ずに過ごして來た中津川と昨日以來見て來てひどく氣に入つた荒川との落ち合ふ姿が見
落合つて本流のもとをなすのである。その一つの中津川といふものゝ水上に中津川といふ部落があるさうだ。昔徳川幕府の時代
あそこにちよつぴり青いものが見ゆるだらう、あれが中津川の人たちの作つてゐる大根畑だ、と言ひながら信州路から連れて來
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場が原といふ廣い/\原にかゝつた。八ヶ岳の表の裾野に當るものでよく人のいふ富士見高原なども謂はゞこの
野邊山が原といふのに入つた。これは、同じ八ヶ岳の裏の裾野をなすもので、同じく廣茫たる大原野である。富士の裾野
一面に萱や芒のなびいてゐるのと違つて、八ヶ岳の裾野は裏表とも多く落葉松の林や、白樺の森や、名も知ら
、御牧が原に行つた。この高原は淺間の裾野と八ヶ岳の裾野との中間に位する樣な位置に在り、四方に窪地を持つて
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裾野の一部を通つて、所謂五湖を※り、甲府の盆地に出で、汽車で富士見高原に在る小淵澤驛までゆき、其處
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かにわたつて行はれた盜伐事件が發覺して、長野埼玉兩縣下からの裁判官警察官林務官といふ樣な人たちがその深い山
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孤立した樣な高原となつて居る。私は曾つて小諸町からこの原を横切らうとして道に迷ひ、まる一日松の林
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小さな鑛泉宿で、一度はそれから一日おいて次の日、その千曲の溪の一番の奧にある部落の宿屋で。一夜は一里あまり
一行から私は二度宿屋を追つ拂はれた、一度は千曲川縁の小さな鑛泉宿で、一度はそれから一日おいて次の日、その千曲
今度通つた念場が原野邊山が原から千曲の谷秩父の谷、すべて大根引のさかりであつた。枯れつくした落葉松
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、秩父影森驛から汽車に乘つて、その翌日の夜東京に出た。すると其處の友人の許に沼津の留守宅から子供が
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でなくては見られぬと私は思つた。其處から千曲川に沿うて下り、御牧が原に行つた。この高原は淺間の裾野と
其處から引返して再び千曲川に沿うて溯り、終にその上流、といふより水源地まで入り込んだ。此處
が、私の方でも止むを得なかつた。たとへば千曲川の流域から荒川の流域に越ゆる間など、ほゞ二十里の間に郵便局と
のであつた。一軒は野邊山が原のはづれ、千曲川に臨んだ嶮崖のとつぱなの一軒家で、景色は非常によかつ
今度の旅では千曲川のみなかみを極めて、荒川の上流に出たのであつた。
千曲川の上流長さ數里にわたつた寒村を川上村と云つた。
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村の下を流れる一つの谷があつた。即ち荒川隅田川の上流をなすものである。いま一つ、十文字峠の尾根を下りながら