みなかみ紀行 / 若山牧水
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友人某々両君が高山の次ぎの町、四里を離れた古川町まで送って呉れる事になった。古川町と云えば二三日前に平湯で別れ
四里を離れた古川町まで送って呉れる事になった。古川町と云えば二三日前に平湯で別れた老爺の故郷である。高山よりも
てもいなくても、同じようなので、私は古川町で買って来た一位笠(土地の名物一位の木にて造る)を
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ツイ其処から続いているのが箱根の連山、その次ぎが愛鷹山、それらの手前に青々した平野が田方郡
その小さな音の様に、親しく身体に浸みて来た。箱根の蘆の湖や、榛名の榛名湖などに覚えた親しさが、自ずと私の
「君、箱根へ行こう、蘆の湖だよ、屹度いま杜鵑が啼いているに相違ない」
梅が白々と咲いて居る。今年初めて見る梅である。箱根にかかると私の好きな渓流が見え出した。そして、細かな雪がちらちら
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渓流は天城山及びその連山から流れ出して来た流で末は沼津町の裏に青々と湛えて伊豆通いの汽船をも入れ、千本松原近くの海
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鑵詰などどっさり用意してだ。其処から四里にして上高地、六里にして飛騨の平湯がある。共に焼岳をめぐった、
「上高地の宿屋で今夜詳しい事を訊けばいいじゃアないか、大体の事はお前よく
帰ろうと定めたのであった。そして白骨から上高地へ、上高地から平湯への道を地図で見ればすべてこの火山の麓を通ることになっ
上高地の温泉宿はこの時候はずれの客を不思議そうな顔をして迎えた。
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この火山は阿蘇や浅間の様な大きな噴火口を持っていなかった。其処等一面の岩
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二三里をひたすらに草の中を歩いて、印野村へ出た。須山より更に小さい野中の村であった。通り抜けるとまた野原で
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ならなかったのだが、歌は幸いにもその前、伊豆の湯ヶ島温泉滞在中に詠んだのがあったが、すべて詠みすてたままで
畔などに列を作って咲き靡いている所もある。伊豆は天産物の豊かな上によく細かな所にまで気をつけて人々がその
あげて話して呉れたのであった。そんな風でこの伊豆には模範村と表彰された村が全体で何個村とかあると云う
。私の生れた国も暖い国であるが、なるほどこの伊豆の風物は一帯に其処に似通っている事などもなつかしく思い合わされた。
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、更に飛騨の都高山町へ出て遠く越中路へ歩き、富山市から汽車で駿河へ帰ろうと定めたのであった。そして白骨から上高地へ、
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遥かな麓に白々と流れている渓流が折々見えた。日本アルプスの山々を縫うて流れて来た梓川の流である。それに落つる他の
の頂上に立ったのはその翌日の正午近かった。普通日本アルプスの登山期は七月中旬から八月中旬の間に限られてあるのに
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まだ枯葉をつけている櫟林や、小松山や色美しい枯萱の原などを、かなり烈しい動揺を続けながらこの古びた乗合自動車
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私だけ沼田の方へ入り込む。それから片品川に沿うて下野の方へ越えて行く、とそういうのであったが、斯うして久しぶり
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引返した事があった。然しその湯檜曾の辺でも、銚子の河口であれだけの幅を持った利根が石から石を飛んで徒渉出来る
日もそうであった。二本ときめて飲み始めた銚子が三本となり、四本目になった時、私は笑いながら云い出し
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ているのであった。で、飲食物から何から、すべて大野川から運んで来るのを私は知っていた。そしてその耳に馴れた大野川
のを私は知っていた。そしてその耳に馴れた大野川という宿場に種々な好奇心が動いていたのである。然し、その日
て南の方稲※の宿へ、私一人は逆に大野川の右岸を溯って大野川宿の方へ、いよいよ最後の「左様なら」をし
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「あれが浅間、こちらが蓼科、その向うが八ヶ岳、此処からは見えないがこの方角に千曲
。そしてその壊れかけた古石垣の上に立って望んだ浅間の大きな裾野の眺めは流石に私の胸をときめかせた。過去十四五
いただきに這い登って見た富士もよかった。また遠く信州の浅間、飛騨焼岳の頂上に立って足許に湧き昇る噴煙に心をとられながら
この火山は阿蘇や浅間の様な大きな噴火口を持っていなかった。其処等一面の岩の裂目
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心に湧いて来るのであった。その意味に於て乙女峠から見た富士もよかった。愛鷹のいただきに這い登って見た富士もよかった
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静かな昼であった。会者三十名ほど、中には松本市の遠くから来ている人もあった。同じく創作社のN―君も埴科郡
はもう夕方であった。駅で土地のM―君と松本市から来ていたT―君とに別れ、あとの五人は更らに
松本市から島々村まではたしか四里か五里、この間はいろいろな乗物がある
送ってやろうと思い立った。普通の郵便局は白骨から八里松本市の方に離れた島々村でなくてはない事を知っているが、無
日取に当っていた。それも初め入って来た松本市へ出て行く道を帰るが惜しく、白骨から上高地温泉へ出、其処から飛騨
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しまっていた。初め岩村田の歌会に出て直ぐ汽車で高崎まで引返し、其処で東京から一緒に来た両人に別れて私だけ沼田の方
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来た松本市へ出て行く道を帰るが惜しく、白骨から上高地温泉へ出、其処から飛騨へ越して平湯温泉というへ廻り、更に飛騨の都
も此処に来て終に私の熱心に動かされた。今夜上高地温泉でよく訊いてみて、あまり昔の道と変らない様だったら一つ登っ
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新しい動議が持ち出された。それならこれから皆していっそ軽井沢まで出掛け、其処の蕎麦屋で改めて別盃を酌んで綺麗に三方に別れ去ろうでは
軽井沢の蕎麦屋の四畳半の部屋に六人は二三時間坐り込んでいた。夕方
出て来たことがそぞろに後悔せられて、いっそまた軽井沢へ引返えそうかとも迷っているうちに、意外に高い汽笛を響かせながら
高い汽笛を響かせながら例の小さな汽車は宿屋の前から軽井沢をさして出て行ってしまった。それに乗り遅れれば、午後にもう一度
無かった。鶏をとりうどんをとって別盃を挙げた。軽井沢での不図した言葉がもとになって思いも寄らぬ処を両人して
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の紅葉が混っていた。林を過ぐると真上に浅間山の大きな姿が仰がれた。山にはいま朝日の射して来る処で、豊か
正面に浅間山が方六里にわたるという裾野を前にその全体を露わして聳えている
余りに近く、狎れ過ぎる感がないではない。焼岳浅間山では余りに遠くて、ただ思いがけなく望み見た心躍りが先立ったものとも云い得る
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瀬について行くとまた一つの沼を見た。大尻沼より大きい、丸沼であった。
見た。老番人に訊ねると、これが菅沼、丸沼、大尻沼の源となる水だという。それを聞くと私は思わず躍り上った。それ
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汽車で沼津に帰って来たのであったが、初め稲※から白骨まで六里の道を危ぶんだ身にあとでは毎日十里十
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泣く百七十七個村の民を見るに見兼ねて身を抽んでて江戸に出で酒井雅楽守の登城先に駕訴をしたのがこの月夜野村
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と啼いていた。路の行手にはあらわに晴れた富士山が鹿の子まだらに雪を残してゆったりと聳えていた。
美しさと、それを前に置いて独り高く聳えて居る富士山の神々しさにつくづくと心を酔わせたのであった。その時は眼
て見ると、落葉の枝の網の目を透して遥かに遠く富士山の姿が望まれるばかり、他に何もなかった。流石に私も疲れ果て
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からてくてく歩いて、野原の中の西寄りに在る唯一の集落須山村というまで、軽い傾斜を四里があいだ片登りに登って行った。
を味わった。杉の林を歩き抜けると、一握りにかたまった須山村があった。四方にめぐらした杉林は恐らく風を防ぐためであろう。秋の
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歩き尽してそのはての山の根に近づくなつかしさをばよく武蔵野で経験したものであったが、久しぶりに今日またそのしみじみした心持を
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に浸みて来た。箱根の蘆の湖や、榛名の榛名湖などに覚えた親しさが、自ずと私の心に来て宿っていたの
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が、草津行きの自動車ならば程なく此処から出るということを知った。そしてまた頭
から出るということを知った。そしてまた頭の中に草津を中心に地図を展げて、第二の予定を作ることになった。
草津ではこの前一度泊った事のある一井旅館というへ入った。私に
来たK―君はこの前私が驚いたと同じくこの草津の湯に驚いた。宿に入ると直ぐ、宿の前に在る時間湯から
草津にこの時間湯というのが六個所に在り、日に四回の時間を
上野の草津に来り誰も聞く湯揉の唄を聞けばかなしも
我等は今朝草津を立つとからずっと続いて紅葉のなかをくぐって来ていたのである
温泉がある、高い崖の真下の岩のくぼみに湧き、草津と違って湯が澄み透って居る故に、その崖に咲く躑躅や其他の
ているのかも知れない、ソレ上州には伊香保があり草津があるでしょう、それに近頃よく四万四万という様になったものだ
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帳場に訊きに行った女中はやがて帰って来て、先刻横浜から電報で西洋人が来ることになっており、どの部屋もすべて駄目だと
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国府津である。乗降が大分混合っている。其処を出ると足柄か天城か、真白に雪の輝いた連山が眺められた。車窓近くの百姓家
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で、富士をうしろにし、真正面に足柄山、右に愛鷹山、左に名も知らぬ外輪山風の低い山脈を置いた間の広大な原野
見出でた時には、富士は全く眼の前に、愛鷹山はツイ左手に迫って見えた。広い野を歩き尽してそのはての山の
ツイ其処から続いているのが箱根の連山、その次ぎが愛鷹山、それらの手前に青々した平野が田方郡の平野、中にうねうねと輝い
の右手に見え、左には野原を距てて森の深い愛鷹山の墨色が仰がれた。富士は此処に来ると、愛鷹を前にせず
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八時信州北佐久郡御代田駅に汽車を降りた。同郡郡役所所在地岩村田町に在る佐久新聞社主催短歌会に出席せんためである。駅にはS―
の人と自動車で出迎えていた。大勢それに乗って岩村田町に向う。高原の闇を吹く風がひしひしと顔に当る。佐久ホテルへ投宿
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改めて帽子をとり手拭をとって辞儀をしながら三人は梓川の流に沿うて南の方稲※の宿へ、私一人は逆に大野川の右岸
に崖下に白々と輝いて流れている渓が見えた。梓川の上流であらねばならぬ。単に山崩れの場所といわず、附近の山
てゆくのだ。ばらばらと崩れ落ちてゆく遥かの下には梓川が岩の間を狭く深く流れている。
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を聞く方が白骨らしいかも知れぬ。それに一時はアルプスの登山客で大変だそうだ。私の考えているのは、それらの
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私が異常な昂奮に自ら疲れて仁科村字浜町という漁村に着いたのはもう灯の点く頃であった。普通
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自動車なりによって軽い片登りの道を登ってゆくと天城山の北の麓に在る湯ヶ島の宿場に着く。その宿はずれから右手を見下すと其処
天城山が火山であったということは極めて当然な様な話で、しかも私はそれ
天城山の山葵という名をば久しく聞いていた。そしてその山葵沢なるものをも絵葉書など
に元気を出して留めらるるのを断りながら終にその日、天城山の北の麓に在る湯が島温泉まで辿り着いたのであった。その渓端
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その名から思い出したのは一時大阪で鳴らした実業家の岩下清周という人が富士の裾野に広大な土地を買い込ん
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翌朝、老案内者は別れて安房峠というを越えて信州地白骨温泉へ帰って行った。私は平湯峠を
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村に入って、其処の豪家C―を訪うた。明日下野国の方へ越えて行こうとする山の上に在る丸沼という沼に同家で
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「あれが浅間、こちらが蓼科、その向うが八ヶ岳、此処からは見えないがこの方角に千曲川が流れているのです」
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独りごちた。「ほほオ、斯んな処から行くのか、花敷温泉には」と。
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山であり海の向うにずうっと雪を輝かしているのが赤石山脈の連峰であるとそれぞれに教えられながら、私は暫くは富士のいただきから眼を
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、あれが木曾山脈でそのなお左寄りが甲州地の山、加賀の方の山も見える筈だと身体を廻しながら老案内者の指し示す国から国
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所在地から八里の登りでその配達は往復二日がかり、乗鞍岳の北麓に当り、海抜四五千尺(?)春五月から秋十一月までが
一つの渓流が同じく真白になって流れ下っている。即ち乗鞍岳から出た大野川である。その大野川と、先に左手下に遠望した梓川
という全く世の中と隔離した山奥の温泉場であった。乗鞍岳の北麓に当り、海抜四千八百尺、温泉宿の裏山に登ると殆んど相向いに
焼岳と乗鞍岳との中間に在る様なその山あいの湯は意外にもこんでいた。
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に峰を張って朝日を浴びた木深い山を指さしながら、霞沢岳などにはかなりの数が棲んでいるだろう。現にもう今年もあの山で一
に見えた。我等の休んでいる山と、向うの霞沢岳と次第に奥狭く相迫った中間の空にあらわれて見えるのである。焼
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なかった。そして此処ではまだずっと先きまで、松崎とか下田とかまで行く可き人のうちでもものを吐き吐き下船する人が随分あっ
あった。イヤ、若し船の都合がよかったらずっと一息に下田まで行ってもいいと思っていた。が、今日は一切此処より出船し
から下田港へ行く午後の定期であったが、私は下田とは反対の天城の方へ歩こうというのであった。
、一生懸命に急いで彼に遅れまいとした。木炭を下田まで積み出しての帰りだということで、炭の屑が真黒に車体に着い
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にこの島は甚だ恰好だというのとで、私は岡山市滞在中同市の人伊勢崎君に勧められ同君はまた島の三宅翁を頼って
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、極めて小さい島だとも思われた。私の好きな三原山の頂上の煙は、その時途断えていたか、見えなかった。
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た中間の空にあらわれて見えるのである。焼岳と硫黄岳と二つ並んだ火山からは相連なって濛々たる白煙を上げ、その煙は
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雨の中に侘しく眺めた渓流のすえであるのだ。渋川に正午に着いた。東京行沼田行とそれぞれの時間を調べておいて駅前
出して、今夜何処へ泊るかと訊く。変に思いながら渋川で聞いて来た宿屋の名を思い出してその旨を答えると、そうですか
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直ぐ島崎さんの「小諸なる古城のほとり」の長詩で名高い懐古園に入った。そしてその壊れかけた古石垣の上に立って望んだ浅間
昨日から一緒になっているこの土地のM―君はこの懐古園の中に自分の家を新築していた。そして招かれて其処で
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の通りであったので直ちに領地を取上げ伊賀守をば羽後山形の奥平家へ預けてしまった。茂左衛門はそれまで他国に姿を隠して
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君から聞いた、土地の郵便局の息子で、今折悪しく仙台の方へ行っている事などを。やがてその郵便局の前に来たの
その留守宅に寄って来たH―君であった。仙台からの帰途本屋に寄って私達が一泊の予定で法師に行った事
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立を荒らされるを恐れて殆んどこの木ばかりが植えてある奈良の春日神社の公園にかなりの老木があったと覚えていたが、
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の間に交わされた。土地の料理屋も珍しくないし、静岡まで延すか、それとも近くの長岡温泉にするか、裾野へ登って
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て飛騨の高山に出、更らに徒歩して越中の富山に廻り、其処から汽車で沼津に帰って来たのであったが、
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松山や松のうら風吹きこして忍びて拾ふ恋忘貝
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、その出立前からかけての烈しい不摂生、不健康、ことに岡山に来てからの四五日が間、夜昼なしに飲み続けていた暴
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の汽車に乗るのがいやになって、一時三十五分の京都行に延ばす事にきめた。昨夜の名残もあるので、三人とも
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はその隣村だという。そんなことから、私はもと上州前橋の生れで、沼津の廓に身を売り、その何とか村の者
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十月十四日午前六時沼津発、東京通過、其処よりM―、K―、の両青年を伴い、夜八時
には友人Y―君の画室があった。彼は折々東京から此処へ来て製作にかかるのである。今日は門も窓も締め
岩村田の歌会に出て直ぐ汽車で高崎まで引返し、其処で東京から一緒に来た両人に別れて私だけ沼田の方へ入り込む。それから
「行きましょうか、行ってよければ行きます、どうせこれから東京に帰っても何でもないんですから」
方に行くのは三人づれだからまだいいが、一人東京へ帰ってゆくM―君には全く気の毒であった。
駅前の小料理屋に入った。此処で別れてK―君は東京へ帰り私は沼田の方へ入り込むのである。
渓流のすえであるのだ。渋川に正午に着いた。東京行沼田行とそれぞれの時間を調べておいて駅前の小料理屋に入った。
多くは山地にのみ見られる様で、あれほど桜の多い東京にもこの花ばかりは殆んど見掛けなかった様におもう。
一体桜には非常に種類が多いとかで、東京近郊に咲くのだけでも何十種とかに上るそうである。専門的の
本二本の花の樹木がまったく数かぎりなく見渡された。東京あたりに多い吉野桜などは先ず遠く望む時にはいいが、近づいて見る
そう思うとその天幕の出来上った頃、東京の或る新聞に大きな写真となって出ていたその小さな天幕、天幕の
毎月一回、きまって東京から歌を見て呉れと云ってやって来るS―君が、今月十四
度いものと思っている。夏がいい、夏ならば東京からも相当に客が来るのでお話相手もあろうから、と宿の
あいている昇降台に立っていると、側にいた東京者らしい少年が、
だから山椒の芽や桜餅に用いる桜の葉などを逸早く東京あたりへ送り出す、その山椒の価額が年平均何万円、桜の葉が何万
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人、小諸町では駅を出ると直ぐ島崎さんの「小諸なる古城のほとり」の長詩で名高い懐古園に入った。そしてその壊れかけ
で小諸町へ向う事になった。同行なお七八人、小諸町では駅を出ると直ぐ島崎さんの「小諸なる古城のほとり」の
あったが余りに大勢なので中止し、軽便鉄道で小諸町へ向う事になった。同行なお七八人、小諸町では駅を
持ちながらの話のなかに、私が一度二度とこの小諸に来る様になってから知り合いになった友達四人のうち、残って
と気遣われながら、左様なら左様ならと帽子を振った。小諸の方に行くのは三人づれだからまだいいが、一人東京へ帰っ
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上野の草津に来り誰も聞く湯揉の唄を聞けばかなしも
上野と越後の国のさかひなる峰の高きに雪降りにけり
奇策を案じて具さに伊賀守の虐政を認めた訴状を上野寛永寺なる輪王寺宮に奉った。幸に宮から幕府へ伝達せられ
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選んだのであった。そうして楽しんで来た片品川峡谷の眺めは矢張り私を落胆せしめなかった。ことに岩室というあたり
駅を出ると直ぐ私は睡った。品川をも知らなかった。そして眼をさますと汽車は停っていた。見廻せ
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峠村を越えて、駿河湾に面した裾野の森林帯を横切って大宮の方へ行くのである。一昨年はそれを行ったのであった
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で来てほんとうにもう舟が出ますという。案内役の伊勢崎君もその顔を見て流石に腰を浮かした。そして窓に出て
なアに、あの船頭知っとるよって、構うことあらへん」と伊勢崎君はたかをくくっていたのであったが、矢張り斯う周章えね
伊勢崎君は汗を拭き拭き船頭に声かけた。裾長の著流しで学生帽を被っ
の荷に腰かけて風に吹かれている耳のはたで伊勢崎君が囁いた。
だというのとで、私は岡山市滞在中同市の人伊勢崎君に勧められ同君はまた島の三宅翁を頼って、此処までやって
を勤むる十数代にわたり、当主其部翁は友人伊勢崎君の為に月下氷人に当るのだそうだ。きょう突然両人して翁
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私が異常な昂奮に自ら疲れて仁科村字浜町という漁村に着いたのはもう灯の点く頃であった。普通に
この浜町という所は――この附近全体がそうではあるが――恰も五本
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、その向うが八ヶ岳、此処からは見えないがこの方角に千曲川が流れているのです」
まだ落ちて間もない青いものばかりであった。久しぶりの千曲川はその林のはずれの崖の真下に相も変らず青く湛えて流れて
がたの、昨今の季節に於てであった。急に千曲川の流が見度くなり、園のはずれの嶮しい松林の松の根を