石狩川 / 本庄陸男
地名一覧
地名をクリックすると地図が表示されます
て、「サッポロに府を置き給はゞ、不日にして大阪の繁昌を得べく」と云わせた予測が実現されかけていた。
も、その名著『西蝦夷日誌』に於て、「不日大阪の如き繁栄をいたさん」と謳っていた。けれども船脚ふかい蒸汽船は
ことが出来なかった。サッポロに府が置かれて、いわゆる大阪の繁栄はイシカリ港の西方十里のオダルに移っていた。ただしかし、
地名をクリックすると地図が表示されます
駒場の原では馬耕の様子を見せた。青山の南北町をひらいて養植園を設けた。外国種の家畜や作物果樹を
肌にこころよく感じる季節になっていた。そう云えば、青山の官園には桃の花も咲きはじめていたのだ。靄が消えると
地名をクリックすると地図が表示されます
妻は歩いている。新政府の基礎は日毎に固まり、北海道と改めて呼ばれる蝦夷地にも開拓の歩は進められていた。それ故彼
とし、南に庶民の町屋を営ませた。蝦夷地改め北海道の主都として、面目のために、当地に自費移住するものには家作
を――樹幹をすかして点在する村々を――けれど、北海道全体から考えれば、こんな移民は数にはいらない、その殆んどが強制移民であれ
三年とはかかるまい、むしろ日本は、カラフトをすてて北海道をかためるに如かず、と、彼は中央に復命した。
一番ふるい村を意味していた。あるいは、蝦夷本島の北海道から『越して来たアイノの村』の意であった。バッコドマリ、クシュンコタン
彼らの南下政策は、明日にも北海道をねらうかも知れない。しかしこの未開地には、金十三万両、米九千石
しばらくこれを棄て、彼に用うる力を移して速に北海道を経営するは今日開拓の一大急務にして――」と献じた言葉に
「こうなったからには、わが北海道は自分で武装しなきゃなりませんよ、阿賀妻さん、それを云いたくて
「あの人だけは心の底から北海道のことを考えていますよ――」と堀はつづけた、「追って
このサッポロの街は――、いや、官の支配下にある北海道は動いているのだ。人の影が急に目につくようになった
にひきかえ、土地は年々産みだすもの、われらこのたび求めた北海道の土地は、広袤百里、埴土肥厚、かならず百年の計が立ちまする」
。即ち阿賀妻に対する反対というのは、これは、北海道へ移住することを拒否することである。そのためにはどうしても、
いたような阿賀妻らも、あちら――人跡未踏の北海道にあっては、百数十名の集団は大きな存在であった。彼らが
鉱山舎密ノ業ニクワシキ者ヲシテ金銀薬物ヲ得セシメ、且ツ北海道樺太ノ海岸ヲ測量シテ悪害ノ地ヲ検シ、アラカジメ我ガ海軍ヲ設クルノ
太政大臣、諸卿、開拓次官ら相会して、ここに北海道開拓の新しい計画を定めた。その費用は、この年の五月に両を
の家畜や作物果樹をここで一時休息させ、それから北海道に移すためであった。さしずめそれらを伝習する学校が必要であった。
「北海道から、堀という男が見えとるはずじゃ、ご存じか」
地名をクリックすると地図が表示されます
なしに上ものとしてまさ、それにこの頃じゃア、四国は高知の刃ものがぽつぽつはいって来やしたで――」
地名をクリックすると地図が表示されます
した土地をにべも無げに指定した。即ち「石狩国札幌郡空知郡ノ内――但シ、地所ノ儀ハ石狩府ニテ差図ニ及
地名をクリックすると地図が表示されます
駒場の原では馬耕の様子を見せた。青山の南北町をひらいて養植園
地名をクリックすると地図が表示されます
土地をにべも無げに指定した。即ち「石狩国札幌郡空知郡ノ内――但シ、地所ノ儀ハ石狩府ニテ差図ニ及ブベキコト―
地名をクリックすると地図が表示されます
――下総の松戸が道中の泊り納めであった。――そこまでは急いで来た。そこ
地名をクリックすると地図が表示されます
――といわれる新たな彼らの支配者は、実は薩摩の勢力で占められつつあるのではないか。一たび不利な立場におしやら
とは云うものの、一度は憎しみをもって対峙した薩摩の人間であった。時代は変ったにしても、その間わずかに二
のだ。しかも彼の求めた手本はアメリカであった。薩摩のイギリスを尊重し、旧幕系統のフランスに宜いのを反撃した。
地名をクリックすると地図が表示されます
の記憶に彫っておいた山の容貌である。そこが堺であった。地の勢いはあちらとこちらに区分され、その分水嶺を超え
のやつなんぞに道伴れになりァ型なしでがんす、堺の刃物と云えば、文句なしに上ものとしてまさ、それにこの頃
て来る行商人は――たとえば、富山の薬屋にしても堺の刃物屋にしても、それはそれだけで深い仲間をつくっていた
地名をクリックすると地図が表示されます
に云った、「ご足労じゃが、この足で直ぐに、江戸へのぼって貰えまいか」
「それにしても、江戸の空模様はどうしたものかなア――はは――」と、彼は取っ
江戸にある本藩の邸で、一昨年の彼は不とどきにも禁足を命ぜ
さを見あげ、「何しろ夜長の季節でございますからねえ、江戸のころでは芝居の見物どきが来たと申しましたよ」
地名をクリックすると地図が表示されます
、彼らの棲む恰好の土地が無いはずはなかった。蝦夷地を措いて、生きる余地はすべて塞がれた、と、そう、思いつめた彼ら
余地も置かせない処分であった。そこで思いはこの蝦夷地に走ったのだ。云わば新たに、死ぬべき場所を捜さねばならぬ
。新政府の基礎は日毎に固まり、北海道と改めて呼ばれる蝦夷地にも開拓の歩は進められていた。それ故彼にとって、屈辱
堀は、事重大と見て取るや、結氷をやぶって蝦夷地に渡った。急を本国政府に告げ、その不実を詰ろうがためであった
「蝦夷地といえども例外には致すまい」思いだしたように邦夷がそう云った
そうだ、この気持が、先年は、彼らをして蝦夷地に来る勇気をふるい起した。そうすると、それではあの時郷里に遺った
彼らの心の中心に坐っているそのひとは蝦夷地にいた。その人がいなければ思いは凝結しなかった。うわさは風
家中であったかと思うのだ。この上に、むろん蝦夷地の何十名かが居る。たといそれを加えて数えあげたとしても、それ
元も子も無くしてしまった。そして、その同じ運命が蝦夷地にいる家中のものを待っている。お家のために――やめて貰わなければ
地名をクリックすると地図が表示されます
「オロシャの蚕食」といい、「蝦夷の鎮撫」といい、つまりは「北門の開発」という言葉だけの美しさ
阿賀妻が万一の僥倖を願う気持になっていた。蝦夷は化外の地であるという昔の観念が頭のなかに残ってい
はすべて知って了ったろう。そしてそれと同時に、聞きかじりの蝦夷の様子がやかましく述べたてられた。先触れもなく、無論それらしいお供も連れない落人
落人のようなこの度のお帰りが、思わしくないという蝦夷の土地柄とむぞうさに結びついた。ひそひそと、重大そうに――それだ
れた書状であった。前の年、この殿さまと一しょに蝦夷に渡った家中のものが、安否を気づかっている縁者や知己に初めての消息
についているものは別として、殿を奉じて蝦夷から帰っている阿賀妻そのものに外ならぬのであった。きらりと彼
窘窮が来たのじゃ、打開の道を、われらは蝦夷への移住と考えた、したが、おぬしらは、それを薩長政府へ
たった一回の巡視によって建てられた開拓使の方策は、蝦夷の地に千五百万円の金をもって、その双方を一挙に解決するかに
を出た朝から、秋の空は晴れあがっていた。蝦夷のオダルの港からは、風波も知らぬ船の旅、それから郷里に寄り
彼は不とどきにも禁足を命ぜられていた。蝦夷の支配地請願がにらまれたのであった。生きるためには、そういう
、彼の生命であり財産でもあった。拓けて行く蝦夷は彼らの餌食であった。百姓では食って行けない越後平野の百姓
地名をクリックすると地図が表示されます
「それが、神田の淡路町でしてねえ」
地名をクリックすると地図が表示されます
「わしの記憶に狂いがなけりゃア、あしこにはアイヌの小屋があるはずです、やつらの丸木舟もあるでしょう、やりますか?
地名をクリックすると地図が表示されます
百五十万両と計上した。即ち、それによって、「樺太ハロ人雑居ノ地ナルヲ以テ、彼此親睦、事変ヲ生ゼザラシメ、シカル後手ヲ
舎密ノ業ニクワシキ者ヲシテ金銀薬物ヲ得セシメ、且ツ北海道樺太ノ海岸ヲ測量シテ悪害ノ地ヲ検シ、アラカジメ我ガ海軍ヲ設クルノ計
更にいそいで解決しなければならぬものに樺太があった。ロシヤは、イギリス、フランスと手をにぎってじりじりと圧して来
がなくとも話はすすめられるのだ。その日から政府は樺太のことに関する限り全然熱意をうしなったのである。そうして、岩倉大使
地名をクリックすると地図が表示されます
「芝――増上寺でしたかな」
た気持になった。因縁ぶかい徳川家の匂いが、この増上寺には、いたるところに香っている。彼はその中に坐って何か心
地名をクリックすると地図が表示されます
にべも無げに指定した。即ち「石狩国札幌郡空知郡ノ内――但シ、地所ノ儀ハ石狩府ニテ差図ニ及ブベキコト――右其
地名をクリックすると地図が表示されます
らには対抗すべき一兵もなく、一艘の軍船も無いのだ。両国人雑居の条約を楯にとってねばり強い抗議を持ちこむより外に手はなかった
地名をクリックすると地図が表示されます
て、唯々としてそれを招き入れたのが南部藩の盛岡。
九十六人が昨年でした、今年になっては、ツキサップに盛岡県人四十三戸百八十五人、ヒラギシには士族平民取りまぜて六十五戸、シノロに
地名をクリックすると地図が表示されます
隊の入城を拒んだのが彼らの宗藩である仙台。約定を破って、唯々としてそれを招き入れたのが南部藩の
「旧仙台藩伊達邦夷貸付地」
のようなオンコ樹の根もとに。傍らには、「旧仙台藩伊達邦夷貸付地」と書いた標木が、草の海に浮んで
した頃、これはその居城であった。間もなく仙台の青葉城に移って、彼は、彼の第六子宗泰にあたえ、
のだ。その罪のため直接削封を命じられたのは仙台の本藩であった筈だ。そこで、彼が返上に計上したの
「もと仙台藩、旧岩ノ山城主伊達邦夷の家臣、阿賀妻と申す、取り次ぎ
「――旧仙台藩のご一門にあたる伊達どののご家老阿賀妻氏です、開拓の仕事
夷は腰をあげた。彼は同族の了意なるものを仙台から呼んで、彼がいるこの家屋敷をそっくり与えた。そして、持って行け
地名をクリックすると地図が表示されます
旬、中山口に兵をかえして、長州の応援を得た秋田藩を破ったときには、国論帰順に向い、国老遠藤なにがしをして
てみましたね、本陣の裏にあたりますかね、秋田屋の前を南に出たところで、あれはそう、何というか
地名をクリックすると地図が表示されます
ながら拙者その長として戸田どの、富内どの大滝どの、千葉どの、早坂どの――」
かじって谷川の水を掬って飲んだ。富内、大滝、千葉、早坂、それに若い高倉が混っていた。彼らは一切を隊長
地名をクリックすると地図が表示されます
は、その歳費の捻出について、先ずおのれの出身地たる鹿児島藩から十万石を召しあげること、並びに政府の上級官吏たる勅奏任官の減俸を
地名をクリックすると地図が表示されます
海軍奉行が黒船七隻をひきつれて疾走する、間もなく佐賀藩の軍艦を中心に編制した新政府の海軍がやって来る。宮古湾
地名をクリックすると地図が表示されます
上ものとしてまさ、それにこの頃じゃア、四国は高知の刃ものがぽつぽつはいって来やしたで――」
地名をクリックすると地図が表示されます
た。季節になるとやって来る行商人は――たとえば、富山の薬屋にしても堺の刃物屋にしても、それはそれだけ
地名をクリックすると地図が表示されます
ていたが、聞けば、その人も更迭されて東京に帰ったそうである。後に来たのは、薩派でもその人
、千五百石は貯えねばなるまい。この金額を本年の東京相場に換算すればざッと九千円――ぎりぎり一万円と計上した。
た。土州出身であるその男の専断を防ぐため、はるか東京の長官は、自分の直系であるつもりでこの堀盛をその下に据え
の黒田は参議として台閣に列しているため常に東京に居りそこから指図して来る。従ってサッポロは判官岩村の采配の下
ためと云われるのですな、わかっています、近日拙者東京に出るつもり、従って、すべて長官に面談した上で、必ず、―
、それだけは今回は勘弁しておくんなさい、実は東京楼の普請でさ」
「何だ、その東京楼というのは」
云うんだから、なかなかひらけたものですね、――その東京楼の普請を請負わして貰いたいと思ったもんで、堀のだんなが見え
国のはてで仕事をなさるんだ、官員さまには懐しい東京楼というあれを建てて、そこに美女を囲おうって云うんだから、
「あちら? 東京? それに越したことは無い」
来ぬうちに送りとどけにゃなりません、が、拙者は不日東京にまいるとすると」
て同意した。添書しようと筆を取った。万事は東京にある出張所――実はそこが本庁の仕事をしていたので
それらはすべて東京が本拠になっていた。ここに政府の意志と現地の意向が持ちださ
、名は出張所であるが、実はそこに長官もいる東京で、最後の決定を得なければならぬのであった。
阿賀妻は甚助を供に連れて、馴れた陸前浜街道を東京にのぼった。
知らぬ船の旅、それから郷里に寄り、こうして東京にはいるまで、一日も、降られたり吹かれたりしたことは無かっ
からは、平野のま近に、目と鼻との間に東京があって、阿賀妻の心は何故か重くなるのであった。今回
「さア、急ぎましょう、いよいよお江戸でございます、いや、東京でございます」
「つまり、その芝居を見たいのじゃ、東京の思い出になるからのう――守田座とかはかかっておるのか」
よ」と、また番頭は云った、「阿賀妻さまは東京ははじめてではございませんよ、門口に立っていないで――」
ていない。場所といえば、これが、彼の云う東京の傲慢さかも知れない。力車を利用するようなことがすでに距離を
のことですから――今回は、うわさによれば奥方を東京で迎えられて――はは、これは上官の私事をあばくことになる」
出来なかったのだ。予定は次々にくずれた。彼が東京で奔走したことの結果は、押しつづめて云えば、一つの船
相違ない――おお、そう、そう――」と彼は東京から廻って来た阿賀妻の手紙を憶いだした。「ついでにこれを渡し
胸に来たのだ。官員の堀は自分の用で東京に出ていた。そして彼はけろりと忘れていた。もし、こちら
地名をクリックすると地図が表示されます
というのだ。鳥羽伏見の戦争は、直ぐにつづいて上野黒門の彰義隊、白河口、越後口、会津となって、奥羽越の
地名をクリックすると地図が表示されます
としては西郷の弟分にあたり、政治家としては大久保とはなはだ接近し、太政官内の受けもめでたいというのであった。従っ
地名をクリックすると地図が表示されます
向島から川船に乗って大川を下った。両岸にはくろずんだ古い家々が音
地名をクリックすると地図が表示されます
「それが、神田の淡路町でしてねえ」
芝から神田まで、――道筋には、二つの権力の入れかわりが軒並みそのまま剥きだし
属官はこの神田ッ子の話をよく知っていた。彼はのがれるようにさあと阿賀妻
地名をクリックすると地図が表示されます
「浅草、こちらの方向でございました、な」
地名をクリックすると地図が表示されます
阿賀妻は甚助を連れて、品川沖から乗りだした。船は朝もやをかきわけて進んだ。潮風を肌にこころよく
地名をクリックすると地図が表示されます
京橋八丁堀の稲屋が阿賀妻の定宿であった。定宿と云っても、云う