小石川 富坂 鶯谷 神田 麹町

「小石川の庚申横町て言や知らない者はありやしません」

ところで、お前の馬鹿さ加減を思ひ知らせるやうに、今晩は富坂の角の米屋に押入る、時刻まで教へてやらう、宵の酉刻から戌

「突き當りが、俳諧の宗匠で其月堂鶯谷の裏口、俳諧はからつ下手だ相ですが、金があるのと、聾

「路地の突き當りの其月堂鶯谷宗匠ですよ。かなりの年でせうが、達者なもんで」

の一軸が後ろにあると言つた道具立てゞ、主人の鶯谷は茶色の頭巾を深々と冠り、被布を羽織つたまゝ、口をもぐ／

内儀が大きい聲で注意すると、鶯谷宗匠はあわてゝ茶色の頭巾を脱ぎました。樣子の年寄染みる割合に

障子を一枚見事に押倒しましたが、其月堂鶯谷宗匠は振り向いても見ません。

ガラツ八も默つて了ひました。平次は其月堂鶯谷のことを言つてるのでせう。

立上つたのは、大黒頭巾を耳まで冠つた宗匠の鶯谷と、妾のお糸でした。

鶯谷は何處から出したか、匕首を閃めかして眞一文字に平次の胸倉へ、

は飛込んでお糸を押へ、猛然として切りかゝる鶯谷の匕首を除け／＼、右手を懷に入れて、取り出したのは得意

思はぬ武器にひるむ鶯谷、裏口へ逃げ路を搜すところを、手練の十手が、ピシリとその

兇賊『千里の虎』は、聾の俳諧師其月堂鶯谷だつたのです。年は精々四十七八、あんな老人になりすました非凡

は簡易に出來るものでないと聞いて迷つたのさ。鶯谷は背後で俺が轉んでも、障子が倒れても身動ぎもしなかつたらう。

「あの時俺は、鶯谷の耳の穴に、何か鼠色の光るものが、入つて居るのを

「蝋の詰めで耳を塞いだ時は鶯谷宗匠、それを取つた時は『千里の虎』さ」

姿になつて荒仕事に出かける、歸つて來ると、元の鶯谷になつて、又大廻りに自分の家へ歸つて行つたんだ」

身扮で出ないのがあの男の惡賢い所だ。鶯谷宗匠で大廻りに廻つてお糸の家へ來る、直ぐ引拔いて『千里

「それが鶯谷さ、一人二た役だよ。自分の家からは決して、『千里の

「ポン／＼言ふぜ、少しは相手を見るが宜い、神田の錢形親分だ」

から、俗用は召使の者に――と言ふのを、神田の錢形平次と名乘つて、押して逢つて貰ひました。

「私は神田の平次ですが、――ちよいと伺ひ度いことがあつて上りました」

平次は其足で直ぐ麹町三丁目の御典醫、梅木淳庵先生のところへ飛んで行きました。