江戸の昔を偲ぶ / 野村胡堂
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江戸の昔を偲ぶ
古い江戸の地図や絵図面をひろげて見ると、私は一種の郷愁を感ずるのである
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て見ると、私は一種の郷愁を感ずるのである。丸の内から話を始めると、見附見附には枡形があり、そこは長いものを通さ
は、落語や講談の〈まくら〉につかわれている。丸の内には三百諸侯が供ぞろえいかめしくひしめき合い、天保年間の日食は一刻のまちがい
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突き当って筋違見附、右へ行くと、柳原から両国だ。柳原は辻斬りの名所、柳の下にむしろを抱えて仲間や折助相手の、辻君
十年前までは少しく昔を伝え、広重は二三十枚も花火の両国を描き残しているが、いまの仕掛花火はますます巧者になって、「玉屋あ、
両国に垢離場があり、両国ですばらしい花火の揚がった時代である。川開きの風情は五十年、六十年前
両国に垢離場があり、両国ですばらしい花火の揚がった時代である。川開きの風
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下谷へ、浅草へ、行く手は長く、こう書いているとまったく際限もないこと
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土手下に隠れてふるえながら見ていたというのは、桜田門の外であろう。明治年間このへんへ遠くなく甘酒屋まで出ていた
である。安藤対馬守はここで斬られ、井伊直弼は桜田門を入るとき駕籠の中で斬られた。その首を持った有村某は
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有楽町は織田有楽斎の屋敷跡、いまの有楽町駅あたりに、南町奉行所があったことだろう
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銀座から日本橋へとたどってみることにしよう。銀座は昔の面影もなくなったが、天金といった天麩羅屋は、いまの
銀座から日本橋へとたどってみることにしよう。銀座は昔の面影もなくなった
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銀座から日本橋へとたどってみることにしよう。銀座は昔の面影もなくなったが、
いる。安藤広重が犬に小便をさせているのも日本橋のたもとだ。この橋詰には、お上の高札があり、相対死にの
日本橋は鉄橋になってしまったが、昔の木橋を私も知っている。
―という川柳は大震災後の私の選であった。日本橋白雨の江戸名所絵は、十万円しようと、それは木橋は鉄橋になら
日本橋広重の見た富士が見え――という川柳は大震災後の私の選
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浅草橋のいろはで木村荘八君が生まれ、ここの高札場を私はいく度も
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下谷へ、浅草へ、行く手は長く、こう書いているとまったく際限もないことである。